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人質奪還

GBの世代は(例外はもちろんあるであろうが)高齢者介護施設に対して、いい印象を持っていない。

GBが現役世代だったころ、施設の中の高齢者は蔑視と憐れみの対象であり、
「老人ホーム=姥捨て」
と考えられていた。施設に入るということは、家族に見捨てられ、あとはお迎えを待つだけという印象が強かったらしい(最近でもこの感覚の人はいる。SNSを見ているとたまに見かける)。

さきの夏、Bちゃんをショートステイさせようと、私が判断して施設に預けた直後の、Bちゃんのすさまじい反発の理由は、そこにあったと思われる。

さらに今回はBちゃんの施設入所で、Gちゃんが隠れようもなく独りになるため、自宅にいながら「捨てられ感」漂う境遇になる。

さて年の瀬の迫る師走のある日。

「Bちゃんを施設に入れましょう」の本戦(会議)開始である。

ケースワーカーさんから、Bちゃん退院後の受け入れ先として各種施設の紹介、施設ごとの特徴や受け入れ体制の説明があった。
看護師さんからはBちゃんの現在の健康状態、今後、気をつけるべき点、さらに退院予想日などが述べられた。
ケア専門の介護士さんからは、オストの袋の購入方法と障害者手帳申請手続きについて、また、退院後の通院治療計画の説明があった。

代わって、施設側から介護士さんが前回受け入れ時のBちゃんと現在の状態の差について、施設内での生活の注意点、要介護度変更申請の話が出た。
施設看護師さんからは、オスト交換の受け入れ他、カテーテル交換や、お薬対応とサマリーについて病院側に質問があった。

この間、Gちゃんはうつむいたきり無言である。
自分に関係ないと思っているのでほとんど聞いていない。鼻くそをほじくって会議室のテーブル下にこすりつけたりしていた。

じつはGちゃんは妙な癖を持っていて、昔、私の学級担任の先生が家庭訪問のときに、いい車に乗ってきたところ、
「センコーが、公務員のくせして、こんないい車に乗りやがってクソ」
とばかり、隠れてこっそりと車の鍵穴に鼻くそを丸めて押し込んだことがある。
のちに私が社会人になったとき、会社の上司が職場のイベント後に、送ってきてくれたときも、
「あんな若くて部長だと? クソ」
これまたこっそり部長のクラウンの鍵穴に鼻くそを押し込んだ。

露見したときの恥ずかしさときたら、言葉では言い表せなかったが、ときが過ぎれば笑
い話。何十年たっても行動が同じというところが、なんとも言えない。

このときもGちゃんは私と病院側、施設側の話のあいだ、ほとんど上の空で鼻くそに夢中だった。

「じゃ、お父さん、いいですね?」
外科医の先生がそう言ったとき、Gちゃんは初めて顔をあげて『何がだ』という顔をした。

「お母さんは、退院したら、施設に、行くんですよ」
先生は一言一句、はっきりと言い聞かせるように言い、
「おうちで、今までのように暮らすのは、無理ですから。わかります?」
Gちゃんは先生の言葉をどこまで理解できるか。危ぶまれたが、
「全然、無理ですかね」
ぼそっと呟いた。

「無理、です」
先生は静かに、優しい声色で、しかし断固として宣言した。

「うーん……しかし金がね。どうなんだかね」
やっぱ、そこかいGちゃん。

「なんとかなると思う」
すかさず私が口をはさむ。

「なんとかなるってオメエ、どうしてそんなことがわかるだ」
Gちゃんは呆れたように言うが。

じつは秋口にGちゃんがあらたに加入した保険契約について高齢者だけでは加入ができず家族の承諾が要るというので、銀行に来てくれと言われ、
「Gちゃんの保険契約書にハンコ押すためだけに往復一時間もかけられない」
と私が突き放すと銀行員は私の家までハンコ取りに来た(センテンス長すぎ)。
保険加入に反対する私(保険嫌い)を説得すべく、彼が2時間以上ねばったため、双方しっかり相手を覚えた。
その後、私が銀行に行き、彼をとっつかまえて因果を含めてGちゃんBちゃんの貯金高をもれなく聞き出したのである *(何故だろう彼はそのときすごい嫌がってた。守秘義務?)(ちなみにこの銀行員はのちに私が保険金奪還戦争に突入せざるを得なくなった原因の保険契約をGちゃんにさせた張本人である)(今も彼のしたことを許してはいない)(彼本人に対しては遺恨はない。1度に2000万円を認知症高齢者からふんだくるような契約をさせた行動のみを許していないという意味)

それはさておき
「施設はね。入居金含めて最低でも5年、Bちゃんの貯金だけでどうにかなるんだよ」
「どうにかなるって、なんでだ」
「銀行に行って私が調べたからね」
「へーえ……」
何か言うかなと思ってしばらく待ったが、Gちゃんはうつむいて黙ったきりだ。

ややあって、
「ま、しょうがねえやな」
Gちゃんが白旗をあげた。
「いいようにしてやってくださいよ」

ついに!
このときが来た!!

Bちゃんを安全な場所へ移すことができるのである……!!!!

「それじゃ僕はこれで」
先生が席を立ち、ケア専門の看護師さんも仕事に戻って行かれた。
Bちゃん担当の看護師さんと施設の看護師さんがサマリーについて打ち合わせし、私は施設の介護士さんとケースワーカーさんとともに、移動日の手順等の相談に入った。

会議が終わり、私とGちゃんだけが残ると、
「オメエよ……」
Gちゃんは何かを言おうとしたが言葉が出ない。

「ま、こういうことですよ。すぐに手続きに入るから、Bちゃんの通帳と印鑑、貸して」
Gちゃんは下唇をつきだし、鼻でフン、と息をしたが、何も言わなかった。
阻止する気力は残っていないようだった。
帰路、実家へGちゃんを送っていき、戸棚の中の印鑑をまず受け取った。

さきの冬、Gちゃんが入院中、戸棚を掃除していたとき、味噌ふうの何かに埋まってい
たのを救い出した、あの印鑑だった。

「印鑑、二本あるけど、どっち?」
「わかんね」

Gちゃんは他の戸棚を開けて一時間ほどゴソゴソ探したあとで、いくつかの鍵を取り出
した。

「これのどれが金庫の鍵なの?」
「俺にわかるかよ。オメエ、ちょっと良く見てくれ」
「私だってわかりません、泥棒扱いされちゃ困るし、ご自分でどうぞ」
「けっ……」

Gちゃんは鍵をかき集めて金庫前に座った。それからさらに小一時間ほど暗証番号を押しては鍵を入れて回して、
「これじゃねえ」
などと言いつつ格闘していたが、
「わっかんねえ……どれも違うだ」
深いため息とともに諦めた様子だった。

「いよいよ開かないんだったら、業者呼んで金庫切ってもらおうか」
Gちゃんはぎょっとしたのだろう、返事もしない。
「入金まで時間はあるけど一ヶ月以内に鍵、探してね」
私はバッグを持ち、今日は帰るから、と立ち上がった。

「もう少し探してみるべ」
大事な金庫を壊されちゃ困るとGちゃんは思ったのだろう。
その日の夜、10時過ぎに、
『鍵、みつけたぜ』

電話がかかってきた。
「開いたの?」
『開いただ』

半日かかってGちゃんは鍵を探し出したらしい。
「無理しないでいいって言ったじゃん。開かなかったら切ればいいんだよ」
情け容赦のない私である。

『オメエ、案外、乱暴だな』

はい。その通りです。

『バーサンはよ。やっぱ歩けねえのか』
「歩けないよ」
『これからもずっとか』
「たぶん」

施設でトレーナーさんがついてリハビリすれば、何かにつかまって立てるようにはなるかもしれないが、自力で歩くのはおそらく無理だろうと思われる。

「Gちゃん、言っておくけど、施設行きはもう変えられないよ」
Gちゃんがどう言おうとBちゃんを施設に入れるよ。反対したって無駄です。

そう思いつつ、Gちゃんの返事を待つ。
「わかった? Gちゃん」
『わかったよ』

おや珍しい。『わかったよ』と言った……。

「じゃ、明日、通帳もらいに行くから」
『おう』

Gちゃんの声は小さくなった。
長きにわたってBちゃんを拘束していた檻が、今ようやく消えたのである。

人質奪還、成功せり。

この日、何かが変わった。
Bちゃんには心やすらぐ道がひらけた。

同時にGちゃんの前には茨だらけの道なき荒野が広がったのだった。


Gの独り正月  に続く


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