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対称図・Nの選択5


“さ”は宛らのさ

短編集の著者校を終えたのは金曜の夕方だった。

次のエッセイの締切はいつだったかなと、スケジュールアプリを開いたとき、着信があった。
知らない番号だ。
不審。
知らない誰かに番号を知られるようなことはないはず。
思い当たるふしがなかったので、着信拒否に回した。

何かお腹に入れておこうかなと冷蔵庫を覗いたとき、また着信があった。
先般押しかけ相談に来たMの番号だ。
依頼された件は全て片付いているし、連絡をもらう理由が思い当たらない。
友達付き合いする気もない。
ので、知らん顔を決め込む。

つもりだったが、鳴っては途切れ、また鳴って…が3回。
さすがにうるさくて困る。
しかたなく応答すると
「あ、出た出た。繋がったよ。ごめん少しでいいから。頼む」
知らない声が、私にではなく、電話の向こうにいるらしき人物を呼んでいる雰囲気。
なんなんだこれ。
迷惑。

「センセーお久しぶりですー、Mでーす」
保育園園長の孫Mだった。
迷惑×2。

「他人に私の番号勝手に教えないでくださいね。困ります」
「まぁまぁ堅いコト言わないでー、センセーとわたしの仲じゃないですかぁ」
「用件は手短に」
ごく小さな電子音が混ざった。
何かしたな。本当にもう。

「えっとー、ついさっきなんですけど、先輩が、あ、Y先輩ね。同じ職場の」
「うん」
1日10回の『ありがとう』に悪戦苦闘しているYの話題?
まさかね。

「Y先輩は今日異動になりました。で、さっきセンセーに電話かけて即拒否されたのって、Y先輩と交換トレードでうちに来た私の同期なんです。Fっていいます」
「Fさん。はい」
「それでFは今どき珍しいカテゴリーFなんです。たぶん『彼女』って言っても差別とか名誉毀損とかにならない…って、ちょっと自信ないけど。そんな感じでーす」
「はい」
「で、Fは最近思うところあってですね。性別が2種類しかなかった時代とかにカテゴリーFがどんなふうに生きていたか、Fの本来あるべき姿とは何か。というあたりのことを…それでいいんだっけ、Fちゃん?」
話しながら、向こうで確認しているらしい。

「なんかそんな感じのことを調べたいんですって。で、センセーにアドバイスお願いできないかなーって」
「国際図書館にアクセスして、希望するキーワード入力して、推奨表示される資料か記事を閲覧すればいいんじゃない?」
そもそも、私だってそんな古い時代のことなんて、わかってはいない。
「それはもう、やったんだよね? Fちゃん? うんうん。そうね。もうちょっとお願いしてみるね。センセー。お願いですぅ。人助けってことで、ちょっとでいいからFとお話してもらっていいですか?」
「いいですよ、ちょっとなら」
フォーン…。
と、ドアフォンが鳴った。
やられた。
これだからほんとにもう。

「どう生きていけばいいのかがわからないんです」
Fはそう言ってうなだれた。
横に座ったMは、心配そうな顔でFを見ている。

「自分がFカテゴリーなんだということに実感がなくて。判定テストを何回受けても、必ずFなんですけど。たまに、嘘ついて答えてもF(f)とか。思い切ってまるっきりの嘘で答えてみたら」
「それすると、テスト中断の表示になったりするしね」
「先生もやったことある…?」
「うん。ある」
ジェンダー詐称の時代劇を書こうとして、資料代わりにあれこれハズレ値をつけて回答してたら判定プログラムから拒絶くらってしまったことがある。

「Fってなんだろう、ってことが頭から離れない私と比べて、まわりの人たちみんな本当に自由そうでいいなって思うんです。カテゴリーなんか誰も気にしてないし、カテゴリーが何かなんて話題にさえならないですよね」
「まぁ、1000以上ある上に、今も増え続けてるしね。どのカテゴリーかってことより当人の個性がどうかっていうあたりが判断基準だよね」

答えながらMを見たら、なんだか生真面目げな顔で頷いてた。
おやぁ。
どうしたM。

「あと、困るのが判定公表で。基本、カテゴリーって個人情報じゃないですか」
「秘匿は一応、されてるよね」
「でも、単体のF判定だけは、判定結果一般公開されちゃうんです。新入社員一覧にもしっかり書かれて」
「希少種だからかな。アイドル化とか?」
「だとしても、ひどくないですか。晒し者ですよ」
「カテゴリーFっていう理由で周囲から何か言われたりする?」
「あ、それはないです。自衛のために環境の会話音声を声紋レベルで完璧に集音して、保安サイドが録音とAI監視してますから、魔除けみたいな感じで」
「行政によるリアルタイム保護? 今も送信してる?」
「さっきAI切ってきました。あとMちゃんと一緒にいて2人きりってときはオフ」
「信頼してるんだね?」
「長いですから、つきあいが」

そうか、Mはこう見えて、Fにとっては良き友なのかもしれない。

「それで、私に会いに来た理由っていうのは、過去から現在まで、カテゴリーFとはどのような存在であったか、そして今、あなたがカテゴリーFとしていかにあるべきか、みたいなことを知りたい、そういう感じなのかな?」
「それです。まさしくそれ」

そっか。
うーん、これはけっこう難しい問題かもしれない。

「もうほんとに、最初にカテゴリー判定降りた8歳のときから、自分ってなんだろう、判断とか行動とか生きかたとか。どうしたらFとしてちゃんとしてるってことになるのか、ぜんっぜんわかんないんです」
「うーん…それはまぁ、たいへんだったね」
Mが身を乗り出して、
「なんかいい方法ないの? 小説家でしょセンセー。あーだこーだ、からの、よしこれで行こう決まったぜ! みたいな感じでなんとかならない?」
「あーだこーだ…」

うーん。知見がなさすぎてさすがに即答できない。

「過去のカテゴリーFのかたがたがどういう生き方、考え方をしていたかを調べても、それが今のあなたにとって最適解になりうるかどうかというと…」
「だめでしょうか」
「だめってことはないと思う。けど、過去からではなく、これからの何かを探してみない? とりあえずあなたは今、何が好き?」
「好き…」
「趣味でも、仕事でも、人物でも」
「ラップです。ジャンルとしてはクラシックラップかベーシックなラップ」

んんん?
あ、そうか。
Yの話の中に出てきたMの『お父さん(仮)』がラップ聴いてたとかいう説明って。
Yの適当な想像とMの出まかせのせいで、ややこしいことになったけれども、つまり、このひとか。

「Fとして、ラップ業火フォロワーって、大丈夫なんでしょうか」
「うん。問題ないと思う。ラップがカテゴリーFの人々に好まれたという実績はあったような気がする。たとえばこれね」
端末で検索するとかなりの数の事例があがってくる。
「そうなんですか? 私調べてみたんですけど、創世記ラッパーってカテゴリーFの比率が低くないですか」
「聴くだけじゃなくて、ラッパーとして活動しているという情報なら、これとかどうかな」
画面をもうひとつ表示する。
「これは海外のビルドだけど見てみて。近代以降、カテゴリーFやFf、Fwのラッパーによるニューウェーブラップ。極北エリア発祥の古代音楽リズムをベースとしたラップの再興がなされて、ここ数年でリスナーを増やしてるって書いてある」
「これ、配信の検索で出てきます? 見たことないです」
「配信はないと思う。現地ライブだけだから」
「ライブ行きたい」
ふとMを見たら、しきりに頷いてた。

画面に地図を表示して、
「ライブは概ねこのあたりで開催されてる。渡航が可能なら、それと北辺地域の極寒環境に耐えられるなら」
「行ってみます。大丈夫です、頑強さには自信あります!」
Fは微笑んだ。明るく力強い笑みだった。
そうだよね。もともと、カテゴリーFのひとびとってメンタルフィジカルとも壮健なんだもんね。

「先生、この情報、私の端末に送ってもらっていいですか。詳しく調べてスケジュール組みたいので」
「はい」

ちょっと応援してあげたくなってきた。Fの隣でMも嬉しそう。

良き旅を、F & M。










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