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最終戦 幻覚の夏

Gちゃんは要介護2。
しかし日常のことはほとんどできない。

介護士さんの訪問日数をさらに増やそうかと考えて始めていた初夏。
Gちゃんの幻覚がいよいよ、いけないことになってきた。

電話はほぼ毎日、数回ずつかかってくる。
いわく、
『誰だか知らねえ若いもんが来て、2階で騒いでたから怒鳴ってやったら逃げてった』
『小鳥が郵便ポストに巣をかけて火を噴いてるだ』
『野球のノムラカントクが5球団ぶんの選手を連れて、うちへ来て泊まり込んでる』
『ノムラだけでなくナガシマも来たハラも来た』
『選手にメシを出さなきゃいけねえんで、大変だ』
『風が強くて炊飯器が壊れた』
『バーサンが死んだ』
等々……。

ご近所への迷惑行動も増えていった。
夜中、明け方にかかわらず、近所のお宅のチャイムを鳴らしては、
「うちのやつが帰ってきましてね」
「看護(婦)師も一緒なんですよ」
「今朝、病院へ戻りましてね」
「お宅へも来たでしょ?」
同じことを繰り返して言ったり、隣家の家の中に断りもなく上がり込む回数も増えて、自分の幻覚をそのまま話すから、ご近所さんでも困り果てていたと思われる。

かかりつけ内科医の先生のところへ連れて行き、認知症のお薬を出してもらっても
「あれを飲むとハラこわすだ」
と言って、飲まない。
以前に消化器系の病院へ行ったときに処方された下剤と混同しているらしかった。
心臓外来で処方されている薬も頻繁に飲み忘れる。
お薬カレンダーもまったく役にたたなくなった。

介護士さんの来訪日を3日にし、何も介助がなくても見守りをしてもらい、その他の日には私が見守りに行く。
それでもゴミ出しの時間にはたいてい間に合わない。

夏にさしかかると、Gちゃんが分別せずに出したゴミの袋が集積所から戻されて庭に放置され、 生ゴミに○○虫がわき、それが袋から脱走して玄関まわりは○○虫だらけとなり、一部は 玄関内から室内へと侵入して目も当てられない状況になった。

Gちゃんは見えないので○○虫の存在に気づかず、虫と同じテーブルで平然と食事をし ていたりする。(ホラーなシーンに使えそう)
私がしかけたホイホイは千客万来、見るのも触るのもイヤになるくらい賑わっていた。(ホラーなシーン以下略)

「夏の間だけでも、ショートステイを利用したら?」
盛夏に起こるであろうさまざまなトラブルが、私には想像できるけれどGちゃんにはわ からない。
「へっ、冗談じゃねえや」
こちらの提案ははねつけられていた。

そんなある日、介護士さんから電話がかかってきた。
『なんだか、警察が来たという話をされてるんです』
「警察?」
『私にもお話がよくわからないのですが……私が車を停める場所のことで近所のかたが警察に通報して、迷惑だと言われたとか』
「通報ですか……」
介護士さんはGB宅の通路前に駐車している。
フロントには『介護訪問中』の札を表示しているし、交差点にはやや近いが、路側の広い路地道であり、交通の妨害にはな らない場所だ。

ただ、Gちゃんは昔、ご近所さん数軒と建築問題や土地問題や交際問題でトラブルを起こして争ったことがあり、しかもあの性格だから日頃のつきあいも悪く、あまり良く思われていないのもたしかだった。

週に何度も介護士さんや私が車を停めているのを、不愉快だと感じるご近所さんがいたとしても不自然ではない……。

「あとでよく話を聞いて、問題があるようでしたら近くの月極駐車場を私が借ります」
『そうしていただけると助かります、……でも』
「他にも何か?」
『これも、ちょっとわからないところがあって、警察をご自分で呼んだ、ともおっしゃ るんです』

「自分で警察を呼んだ……なんででしょう?」
『2階に、他人が勝手に入るので警察に通報したと』
家の中に、他人がいるとGちゃんが言ってる、それは私も知っている。

最近の幻覚では『怒鳴って追い出した』ほどだから、よほど腹に据えかねているのだろう。
Gちゃんスタイルでハナクソ丸めて車のキー穴に押し込んで、腹いせするわけにはいかない。そこでGちゃんは警察を呼んだ。ありそうな話ではある。

「つまり、警察が本当は何しに来たのかはわからない…ということですね」
『そうなんです』
ヘルパーさんは困惑されていた。
Gちゃんが警察に何かを言ったのか、それともご近所 から苦情があがったのか、本当のことがわからないと、対策が取れない。

すぐに所轄の警察に電話してみた。警察の返事は、
『その住所に、警察官が行った記録はありません』
だった。
路上駐車については心配だったので念を押したが、
『介護訪問中の札がフロントにあるのですね? そういうことでしたら何も問題はありま せん』
つまり、警察云々の話は全部が全部、Gちゃんの幻覚話、作り話だったのである。

近所の人が 警察を呼んだ、というのは被害妄想から生じた幻覚。
誰かが家にいるというのも幻覚。
自分が警察を呼んだというのも幻覚。
他人が聞くとつじつまが合うから、始末が悪い。

介護士さんには電話して、駐車は問題ないとのこと、警察のお墨付きですと伝えた。

このころ、Gちゃんの幻覚の庭には、しばしば『若い人』が入り込んでいた。
Gちゃんがもっとも嫌う、若い男性、である。
若い男性は「無口」で「ふてぶてしい」 性分で、Gちゃんが再三「出て行け」と怒ったにもかかわらず、ニヤニヤ笑って庭で飲み食いしているらしい。
「ほら、そこにいるべ?」
なんて言われて振り返ってもそこにはGちゃんに寸胴に刈られたクチナシと、生き残るかどうか危ぶまれるバラが一株。ただ閑散とした庭があるだけだ。

いよいよ危ないなあ、と思う。
もしもGちゃんの幻覚世界に、Gちゃんの暴力欲をかき立てるようなキャラクターが入り込んだら、どうなるんだろう?
もともと暴力上等ブレーキなしのGちゃんである。エンジンがかかったあとでは、幻覚 キャラと近隣の実在する誰か、あるいは通りがかりの誰かとの区別がつくんだろうか。

かといって、何もしていないうちから、
「刑務所に入れといてください、この人危ないし」
というわけにもいかない。
頼んます。ヤバイことしでかす前に転ぶかなんかして死なない程度に骨折れてくれ。
内心、そんなふうに考えたり。

真夏になると、さらに危ない事態が待っていた。
Gちゃんは家中の窓を閉め切って暮らすようになったのである。
「開けとくと人が入ってくる」と言い、
「窓閉めてても入ってくる」となり、
「鍵もかけとくべ」となって、もちろんケチ精神だけは健在だから、エアコンなんか入 れていない。
室内、37度である。
玄関を入るなり「わっ、なんだ、この家……」たまげる暑さだった。

「熱中症になるよ? 窓開けたら? 閉めておきたいならエアコン入れたら?」
何度も言ってみたが、
「電気代がかかるべ」
頑として聞き入れない。
台所で調理していて私でさえ気分が悪くなり、外へ出たら、
「あれ涼しい……」そこの気温が34度だった、ということもあった。

Gちゃんは暑さと幻覚のダブルパンチで疲れ果て、睡眠不足で腹具合も悪い。
しかも水を飲まない。
「これでよく熱中症にならないね」
「へっ、鍛え方が違うだ」
自慢するのだからさらに始末が悪い。

そんなある日、Bちゃんの受診のために、かかりつけの内科医院へ行ったところ、先生 が私を手招きして、人のいない部屋へ入り、
「先週の受診のときに、お父さんがちょっと気になることを言ってて」

それはGちゃんが、
『昔から付き合っていた、大好きな女の人と結婚して一緒に暮らしたい』
と言っていた……。というものだった。

「△△さんという名前でした……わかります?」
「わかります」
それは、ブル様の名前だった。
ブル様というのは、過去に愛憎浮気泥沼騒動を起こして幼子3人捨ててGBの元へ転がり込んできて離婚後浮気相手の男性と再婚した情熱系の女性である(どういう事情があったのか他人の私にはわからないから批判はしない。応援も賛助もしない)

Gちゃんはブル様が再婚したあとも、陰に陽に援助し続けて今日に至り、Bちゃんはそ の事実を知らない。
ブル様のほうはGBに会いに来て「自分の親以上に思ってるのよ」と言ったりして、Gちゃんは喜んではいたが…。
彼女は再婚後もあちこちでトラブルを起こしたし(人間関係、職場関係、金銭関係、家 族関係)その顛末を幾度も聞かされるにつけ、GBが巻き込まれはしないかと私は危惧してきた。

何ごとにも批判的なGちゃんがブル様だけには変に甘い。それは私にも見えていた。
Bちゃんにはもちろん何も言わなかったが、火種はずっとくすぶり続けていたのだ。
Bちゃんの後詰めとして私はブル様を警戒してきたし、寸毫ほども信用していない。

そのブル様とGちゃんは結婚したがっているという。
今まで「金と自分の健康」のほかにはなんの興味も示さなかったGちゃんが、よりにも よってブル様と結婚したがっているとは。
なんてこった……。

Bちゃんはまだ生きているんだよ、Gちゃん。
駆け落ちまでして一緒になって、喧嘩しつつも長年連れ添った妻じゃないか。
たとえ今施設にいて、いろいろなことがわからなくなっているにしても、夫婦でいることに変わりはないのに。
そこまで落ちましたか。としか言いようがない。
もうだめだ。このままにしておくと、さらなる変事が持ち上がる。

日をおかず、かかりつけ内科医院へGちゃんを連れて行き、先生とあれこれ相談した。
先生は高齢者のための保護入院可能な、近隣では唯一の精神病院への紹介状を書いてく ださった。

それを持って、内科医院からの帰路Gちゃんを自宅へ戻さず、そのまま精神病院での受診に連れていった

Gの入院  へ続く

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