「嫉妬」とか「劣等感」とかと仲良くなれれば。
「プライドが高い」
ぼくに対する他己評価の中で、今まで出てこないことがなかったワード。
自分ではそんなつもりはないのに。
それに対して、ネガティブなことしか考えられなかった。
「わがまま」「いつも自己保身に走る」「他人に対して壁隔てがち」
「プライドが高い=」の右辺に来るのは、いつでもそんなマイナスイメージ。
その原点みたいなものをちょっと考えてみた。
うまくコミュニケーションをとることができなくなっていた10代。劣等感にさいなまれ続けていたとき。
それは同時に、スポーツがうまい人とか、面白い人とかが、今よりももっと輝いて見えていた時期だった。
そのときから、「隠れ目立ちたがり屋」みたいな感じだったなって、今になって思う。
なにか大きなことを成し遂げて、みんなに「すごいね!」って言ってもらいたい。
なにかの才能で、みんなの前に立って目立ちたい。
そういうことでしか、正直自分を保てなかった。自分を認められなかった。
「優しい」「気配りできる」「細かいとこによく気づく」
小学生のときから、通知簿に書かれ続けていた言葉。
そんなん誰でもできるやん。。
悪くは思わなかったけど、あんまりうれしくなかった。
ただただ人に認められたかった。「自分」っていう存在の存在意義みたいなのをずっと探していた。
そうやってずっと、自分の手の届かないところを目指して、良くも悪くも、上へ上へと行きたかったんだと思う。
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そんなふうに思っていることで叶えられた夢も、多少なりともあった。
中学生のころから、漠然と、「東京に出たい」って思っていた。
なぜ?って聞かれると、東京でやりたいことがあったわけではないし、この大学にどうしても行きたいってわけでもなかった。
ただ、「東京の大学に入ったら、みんなすごいって言ってくれるんじゃないかな。自分が認められるんじゃないかな。」
そんな想いだった。
劣等感とか嫉妬とか、そんな思いから派生してきた、「不純」な幸せだった。
今になって思う。
もし、その夢が、マイナスな感情から生まれてきたものだとしても、
それは、自分が大事にすべき、「純粋」な夢であり、やりたいことだったということ。
そして、その夢を、曲がりなりにも叶えられたということ。
だから、これからも、そんなマイナスな感情と付き合っていくことで、自分をまだまだ高めれるんじゃないかって。
「劣等感」とか「嫉妬」とか、そんな感情とどこかで闘っている人へ。
抗って、消そうとするのもいいけど、
素直に、それらと仲良くなれたら、もっと大きな人になれるんじゃないかな。
たぶん、そんな悪さをするやつらじゃないから。
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