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大切な人に会えるのはこれが最後かもしれないから

6年前のあの日、ぼくは人生で1番の後悔をした。
真っ白な棺の中で冷たくなっているじいちゃんに、何度も何度も謝った。

小さい頃から、ぼくはじいちゃんばあちゃんと一緒に暮らしていた。
いわゆる3世代家族。

保育園には、じいちゃんが決まってぼくを自転車で迎えに来てくれた。

ちょっと青みがかったおおきめの自転車。
その後ろに乗り、家から10分くらいの距離をおしゃべりしながら帰るのが日常だった。


じいちゃんは、野球がとても好きだった。
平日の朝、夏休み中だったぼくが1階のじいちゃんの部屋に行くと、決まってメジャーリーグのヤンキース戦を観ていた。

「じいちゃん、どの選手が好きなの?」
「おー、やっぱりジーターが一番や。守るのも打つのもぴかいちやさけのお」

ジーター選手が活躍すると、じいちゃんはほんとにうれしそうな顔をした。


「報知新聞、買ってきておっけの」

中学生の時とか、そうやってたまにぼくをおつかいに出してくれた。

まだ一人で買い物するなんてそんなに慣れていなかった時期。

目当てのものがなかなか見つからず、店員さんに聞いてやっとこさ買って帰ると、
じいちゃんはいつも優しく笑って「ありがとなあ」と言って迎えてくれた。

今思えばそんなに大したことはしていないけど、
じいちゃん喜んでくれるからもっとおつかい行きたいって、子供ながらに思っていた。

いつも優しく、学校であった話とか悩みとか、包み込むように聞いてくれた。


ぼくが高校生になるくらいのとき、ばあちゃんの認知症がすごいスピードで進行していった。

夜中ひとりで徘徊することは日常茶飯事。
息子である父のことも、孫であるぼくのことも、思い出せないようになっていた。


そして、長年いっしょにいたじいちゃんのことも、記憶から消えていっているみたいだった。


それでも、じいちゃんは必死にばあちゃんの面倒をみていた。

夜に徘徊したらぼくと母親といっしょに探し歩いて、
徐々に成り立たなくなっていたばあちゃんとのコミュニケーションも、
がんばってやっていた。



ぼくが高校3年生の6月、ばあちゃんは老人ホームに入ることになった。

夫婦を離すことに両親は葛藤したみたいだけど、介護の負担を考えた苦渋の決断だった。


けれど、ばあちゃんが家を離れた直後から、じいちゃんの体調が一気に下り坂になっていった。
青い自転車に乗って毎日のようにおでかけしていたのに、ほとんど1日中寝たきりになっていた。

大好きだったメジャーリーグも、報知新聞も、お昼にテレビで流れている株価の番組も、観なくなっていた。


「おばあちゃんと離れ離れにさせたんが、あかんかったんやな。」
そう考えた両親は、じいちゃんをばあちゃんと同じ老人ホームに入れることにした。

夏のある晴れた休日。じいちゃんが家を離れる日。

「元気でね」と玄関先で見送るぼくに、「うん」とだけ答えて、じいちゃんは行ってしまった。



当時受験真っただ中で忙しかったぼくには、じいちゃんとばあちゃんの顔を見に行く時間も惜しかった。

気づけば、じいちゃんが家を離れて2カ月が経っていた。
その間、じいちゃんの顔を見に行くことも、声を聞くことも1度もなかった。


「じいちゃんが軽い肺炎で入院してもたんやって。お前明日塾行く前にちょっと病院にお見舞い行ってきな」

季節がひとつ進んで、やっと涼しさが感じられるようになってきた10月のある夜。
リビングでテレビを観ていたぼくに、仕事から帰ってきた父親がこう言った。

最初はびっくりしつつも、話を聞けばそんなに大した症状ではないみたい。

ひさしぶりに顔見たいから行ってくるかな。

そんな気持ちでしかなったと思う。


翌日。

普段通り学校へ行って、1限目の数学の授業を受けているとき。

担任の先生が、血相を変えて教室に来た。

「簔輪、ちょっと」


不思議と、その時全てが察せられた。


あ、もう声聞けないのか。
優しく笑った顔、もう見れない。


頭の中が真っ白になった。


急いで帰り支度をして、
気づけば、迎えにきた母親の車に乗せられて、じいちゃんのいる病院に向かっていた。



病室に着くと、ベッドにはたくさんの管を繋がれたじいちゃんが、
眠っていた。

もう声も出せない。表情もない。


じいちゃんごめんね。

心の中で何度も謝った。

なんでもっと、顔見に行ってあげられなかったんだろ。
忙しいこと言い訳にして、ぜんぜん会いにいってなかった。

もっといっぱい話したかったのに。



ぼくが病院に着いて30分くらいした後、
じいちゃんは、天国へと旅立ってしまった。



亡くなる直前、ぼくの方を見て、口を苦しそうにぱくぱくさせながら、何かを必死に喋りたそうにしていた。

口から泡を出しながら、それでも懸命に力を振り絞っていたじいちゃん。


なにを伝えたかったんだろう。


いつか向こうにいったら、ちゃんと聞いてみたいと思った。



大事な人と、ちゃんとゆっくり話ができないまま、お別れをすることになってしまったこと。

6年経った今も、心に深い後悔として残っている。


忙しいとか、そんなのは言い訳に過ぎないんだ。
ほんとに大事な人には、会えるうちにちゃんと会っておかなきゃ。

じいちゃんが、身をもって教えてくれたと、ぼくは思う。



大切な人と笑って話ができる時間は、たぶん思っている以上に少ない。

ひょっとしたら、今こうやって会っている時間が最後になるかもしれない。


そんなことを頭の片隅で思いつつ、ぼくは今日も、ぼくの大切な人たちに会いに行く。



もう二度と、あんな思いはしたくないから。

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