【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 第90回
大人の流儀
伊集院 静氏の『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。
時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院氏はこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。
『大人の流儀3 別れる力』をご紹介します。
ご存知のように、伊集院氏は小説家(直木賞作家)で、さらに作詞家でもありますが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。
大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 第90回
第4章 本物の大人はこう考える
「愉快な男たちの話」から
伊集院 静の言葉 1 (267)
「愉快な男たちの話」から
伊集院 静の言葉 2 (268)
「恥知らずの行為は生死にかかわる」から
伊集院 静の言葉 3 (269)
⭐出典元
『大人の流儀 3 別れる力』
2012年12月10日第1刷発行
講談社
表紙カバーに書かれている言葉です。
✒ 編集後記
『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。
伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。
伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます。
🔷「生き残った人たちが多くを語らないのは、目に前に波があらわれ、建物が迫って、何もかものみこまれ、その直後から連続して襲った大きな余震と、暖房を奪われた寒さと、昨日までそのばにいた家族の姿がないという現実でしかなかったからだ。
ただ驚き、戸惑い、うろたえた」
仙台居住の伊集院氏が被災者であるからこそ、こうした描写と心情を表現できたと考えています。
私たちは直接の被災者ではないので(厳密には被害を受けた人たちはいますが)、他人事と簡単に片付けてしまいがちです。
ですが、もし、私たちが直接の被災者となった時、どんな態度でいただろうかと考えると、なすがままで何もできなかったのではないかと推測しています。
日本は地震国ですから、いつまた東日本大震災級の被災をする可能性はあります。しかしその予測はできません。いくら防災訓練を受けたり、食料や飲み物の備蓄等をしていても、想定外の出来事は必ず起きると考えています。
もし、想定外の出来事が起こった場合、果たして的確な判断をし、身を守る行動が取れるのかと考えると、私は自信がありません。
起きた時には、もう諦めるしかないとさえ考えています。家が倒壊し、下敷きになれば大怪我を負ったり、時には命を落とすかもしれません。
私は独り住まいですので(飼い猫が一匹います)、被災した時、家人を助けることも、家人に助けられることもありません。
外出先で被災した場合には、多数の人がパニックに陥り、集団による異常行動に巻き込まれる、いや私自身もその一員になってしまうかもしれません。
そうだとすれば、どんなに考えたところで、人間は天災に打ち勝つことはできません。ただし、人災には巻き込まれたくないと思っています。
🔶『大人の流儀3 別れる力』について『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』の中で言及しています。
夏目雅子さんのプロフィール
🔶伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。
<著者略歴 『大人の流儀』から>
1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。
⭐ 原典のご紹介
クリエイターのページ
大人の流儀 伊集院 静
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