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日本を発って、今日で10年。


2014年1月4日。ちょうど10年前の今日、日本を後にして、世界へ旅に出た。

1年半のつもりの旅は5年も続き、訪れた45近くの国の、とある国に舞い戻り、そこからさらに5年。夢中で好きなことをやるうちに、会社を作り、家族ができ、仲間が増え、「これが私の情熱をかけてやっていることです」と、胸を張って言えるものができた。


あの日、明日死んでも後悔しないだろうか、と自問自答し、あれもこれもやりたかった、と思いつく100のことを眺めながら、そうか、後悔しない生き方をしていないのか、というその事実に愕然とした。何となく流されて生きる大人にはなりたくなくて、何者かになってみせると、田舎町から意気揚々と上京してきた19歳の自分が、真っ直ぐな瞳で私を見ている気がした。


全てを手放し、いつもリスクと隣り合わせで、目的地が何処で何なのかもわからないまま、それでも、この一歩は何かに近づいているはずと、前に進み続けたこの10年間。失敗も辛いことも沢山あったし、不安に押し潰されそうな夜は数えきれないほどあった。惨めな思いも散々したし、このまま誰からも忘れ去られたいと願ったこともあった。

それでも今日まで、引き返すことも、立ち止まり続けることもなく歩いて来れたのは、あの日、大切な全てにさよならを告げてでも、後悔しない生き方をするんだと決めた私と、それを心から応援してくれた家族と友人達を、がっかりさせたくなかったから。

旅を、これだと思える何かを見つけることを、諦めるためのそれらしい言い訳は、幾度となく喉元まで込み上げてきた。でもそこで逃げてしまえば、あの旅立ちの日の私よりも、後悔の念が一層と増した人生を歩むとわかっていたから、とにかく前を向いてきた。


見つけるのにどれだけ時間がかかっても、諦めさえしなければ。長い人生の終わりまでに、必ず見つけることさえ出来れば。その道を、辛抱強く歩き続けることさえ出来るのなら、それはまだ、長い道のりの、途中だというだけ。きっと夢が叶うとは、やり続けるということを、ひたすらに続けられた人が、人生のどこかで手にする、達成感と感謝の気持ちの別名だから。


10年を経て、ようやく見え始めた目的地。これから先の10年は、その遠くに見える目印を見つめながら、自分を偽ることなく、まわりの人たちと支え合いながら、時代の流れや華やかさにとらわれることなく、着実に、歩いていこう。例え誰も見ていなくとも、楽をしたり近道をせず、一歩一歩、誤魔化すことなく。そうやって足腰を鍛えて、何処かで待ち構えているであろう険しい登り道に備えながら。1人では登れそうにない山を、一緒に登ってくれる仲間を見つけながら。



10年前の私へ。勇気を出して、その一歩を踏み出してくれて、ありがとう。


10年後の私へ。後悔しない私を、今日も、生きていますか。

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