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【読み切り】『さよならミュージアム』世界の捉え方の歪みと美しさ

自分を守るための「世界の捉え方」というものが誰しもある。

この物語の主人公にとっては「横顔こそが真の美しさ」という考えがそれに当たる。

社会と違う「私が考える正しさ」的なものは、自分を崇高なものに感じさせてくれる。自己肯定の言い訳にもなる。

それ自体が悪いわけではないし、人それぞれの価値観は多様だ。

しかし、そのきっかけが自分の弱さである場合、その「正しさ」は自分を袋小路に追い詰める。

さよならミュージアム 岩井トーキ

直面できない「他者」は、自分にとっては暗く映る。

自分の正しさを守るために、世界の見方そのものが変わってしまう。

一方で、現実は脚色されて、美しい彩りを帯びることもある

さよならミュージアム 岩井トーキ

何気ない日常が、自分には特別な場所になる。この演出が見事。

一方で、遮るものはなにもないのに、自分にとっては絵の向こう側の世界に見えるところに、悲しさも感じる。

何かを崇拝し「美術館の展示物」と価値を置いた瞬間に、見る側の自分はその大勢の「単なる鑑賞者」になってしまうのが悲劇的だ。

そして主人公はその世界の歪んだ見方そのものの不安定さを感じているからこそ「モデルに手を触れてはいけない」と無意識に気づく。


さよならミュージアム 岩井トーキ

しかしそれを乗り越える、心が動く瞬間があった。変わらないはずのモデルの涙。

同じ場所で同じ姿勢。違うのは、雨と、涙だけ。

主人公が一線を乗り越えるには十分すぎる出来事だ。

さよならミュージアム 岩井トーキ

ここで主人公が何も言わない、モノローグすらも無いのが、非常に良い描写。

表情だけですべてが分かる。動揺。相手の方にもっと近づきたい興味。

自分の世界を守るために強いていたルールである「展示物に触れてはいけない」を破るのはこの時点で決まっていたのだろう。落とし物は単なるきっかけにすぎなかった。

さよならミュージアム 岩井トーキ

主人公の行動が事態を動かす。正面から向かい合ってくれた他者によって、主人公は思い込んでいた「正しさ」を捨てる。

横顔を一方的に見るのではなく、対面して相互に向き合う。

ここまでヒロインの方の正面顔を封印していたのもうまい。

最後に「さよならミュージアム」のタイトルが別の意味になるのも見事。

元々持っていた世界を守るためにつぶやいた言葉が、ミュージアムを成り立たせる固定観念そのものが不要になったことを示す前向きな言葉に変わる。

最後に美術部の仲間たちの顔がしっかり描かれたのは、主人公のちょっとした変化が、日常に還元されたことも意味している。


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