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【後編】妓夫太郎!!梅!!!私がお前らの幸せについて考えたるからな〜〜!!!!!刮目せよ!!!!息巻くオタクの誇大妄想!!!

前回から続くクソデカ感情大論文の続きだ!!!!!!!ついてこれてるか?????
よろしくな~!!!!!?????

鬼になった兄妹

鬼になった後は堕姫の美しさを活かして花街に潜んでいた兄妹。通常は堕姫の背中の中に妓夫太郎が潜み、堕姫の声にこたえて登場するというスタイルだ。あんなひどい目にあった場所なのに人をやめてからも吉原にとどまっているのがなんとも悲しく感じられる。人間の肉体から解放されたというのに、彼らは吉原以外で生きるすべを知らぬままだ。

お兄ちゃんがいるとアホになる梅

ここで、私が違和感を感じたのは、一人で堕姫として振る舞っている時の梅、そして妓夫太郎が登場してからの梅の変化である。一人の時もまあまあそれなりにやっているのだが、
お兄ちゃんが出張ってきてからの梅はなんかこう…一気にIQが2に下がったような印象を受ける。急に幼くなったように見えるのだ。もとより精神的に幼く、感情のコントロールがあまりうまくはなさそうだがそこからさらに退行し、妓夫太郎がいなければマジでなんもできないのでは…と心配になるほどの様相を呈す。お兄ちゃんがいるときだけアホになる新しいタイプのナベアツにすら見えてくる。
最後と合わせて作中で3回首を切られているのはお前だけやぞ。
お兄ちゃんお兄ちゃん、二言目にはお兄ちゃん。気に入らなければお兄ちゃんなんとかして、危なくなったらお兄ちゃん、頼みの綱のお兄ちゃん。
見ているこっちはお兄ちゃんがゲシュタルト崩壊である。
そして当のお兄ちゃんもキャンキャンわめき、頼ってくる堕姫に対して自然に受け止めており、「こいつらがいじめたぁ!!!」と敵の目の前で甘えてチクってくる妹を「そうだなそうだな」となだめ、
妹を加害した奴らには容赦なく戦闘態勢をとる。兄妹で分かれて戦う際には堕姫の方に片目をつけており、やられぬようフォローする徹底ぶり。なんと器用な兄であろう。妓夫太郎の目ん玉を額に付けた堕姫が「これが私の本当の力よ」的なことを言うシーンがあるのだが、それは多分お前の力ではなく、お兄ちゃんの力である。
世のマザコンもびっくりの過保護ぶりに、こちらは恐れ入るばかり。
妓夫太郎に比べればスネ夫のママすら放任主義に見えるほどだ。

兄妹の絆の在り方…なんで梅はアホになるんや?

兄が妹の背中にくっついて日々を過ごしているという生活スタイルからも彼らの大変な共依存ぶりがうかがえる。
ただ、上記で私の違和感を述べたとおり、一人の時も堕姫は恐怖心を利用して人をうまく操り、炭治郎たちと交戦した時も案外まともに相手の能力を推し量ることができている。兄に比べて堕姫の能力が劣るのは事実だろうが、妓夫太郎がいうほど「頭が弱い」のだろうか。
私には妓夫太郎の前でだけ堕姫が子どもに戻っているかのように見えるのだ。
堕姫をなだめるシーンにて、妓夫太郎は泣きわめく成人女性の頭を撫でてやり
「泣いたってしょうがないだろう。首くらい自分でくっつけろよなあ」と言いながら火傷まで治している。扱いが5歳の子どもである。
きっと生前はそうして泣いている妹を何度もなだめ、守ってきたのだろう。彼らの時間は子どものころからずっと止まったままなのだ。頼られ、弱い妹を守るために力をふるう妓夫太郎。
あの兄妹がうまくいっているのは、堕姫が妓夫太郎を求め、妓夫太郎より弱いからこそ成り立っていると私は考える。
彼らの在り方そのものが共依存の関係の発露のように思えるのだ。彼らは二人でいる限り、互いが精神的に自立することはない。二人とも首を落とさなければ死なない彼らは、言い換えると、一人では生きていけないともいえる。堕姫が成長すれば妓夫太郎は必要とされないからだ。

あいつらの幸せってなに?

おそらく、生前も鬼になってからも妓夫太郎は堕姫を手元から離したことはないだろう。彼の中には堕姫を自立させるという発想がないのではなかろうかと私は想像する。妓夫太郎にとっての幸せは、梅を失わず、梅に求められ、誰にも邪魔されずに二人で好き勝手に生きることであり、
嫌な言い方だが、それまで梅だけの幸せについて考えたこととかないのでは…?
どうや???お兄ちゃん?????
だからこそ、炭治郎に負けて泣きわめいて八つ当たりをする妹の言葉に妓夫太郎は揺らいだのだ。
負けてしまったらあんたなんか価値がないとわめく妹に妓夫太郎は傷ついたような表情を見せ、
思ってもないことを言ってしまいそうになる。お前ら炭治郎がおってほんとよかったな。お礼を言っとけよ。彼が兄として梅の幸せに思いを馳せたのは、皮肉にも、死の間際だったのだ。

ここにきてオタクの大論文、崩壊

兄妹の死後のシーンを見て、気付いた方も多いだろう。妓夫太郎は鬼の姿、梅は人間の姿のままである。
ここを見て私は正直「ンッ???」とは思ったのだが、特に深くその違和感を追求せずにここまで論を進めてきた。
まだ人間であった二人に出会った童磨が「その娘、間もなく死ぬだろう」と声をかけていたからだ。
私はそのセリフを受けて、鬼になったとき、「梅はギリ何とか生きている状態」であり、兄妹二人して鬼になったと解釈していた。
だからこそ、死後の二人の姿の相違についても何となくの考察はあったものの、いまいち論拠にかけるものとなっていた。
そんな中でもとりあえず文章を書きあげ、クソ長大論文を親友に送り付けて見てもらっていたところ、奴はこれまでの文章が全て崩壊するとんでもない仮説を私に投げかけてきたのである。
「これ読んで思ったけど梅ってさ…人間のまま死んでて、鬼になってなかったんじゃ…????
は????????今言う???????
論文もう終わろうと思ってんだが??
お前何を言っている?

梅、死んでる説を唱える親友VS梅は死んでないもん説を守ろうとするオタク

オタク・タキハラは疑問をぶつけた。
「じゃあ童磨は…!?間もなく死ぬだろうて言うてたよ??!!ということはあの時は生きていたのでは???」
親友は落ち着き払って答える。
「そうね。私もそう思ってたんだけど…童磨は人の心わからんけど人を救おうとしてるのが基本スタンスやからそのためならそんくらいの嘘つくんじゃない?」
うわ~~~~~~嘘つきそう~~~~Cv.宮野真守だもんな~~~~
震えながら私は投げかけた。
「え……妹もギリ生きてて二人で鬼になれたという体の方が妓夫太郎は救われるやろって判断したから嘘ぶっこいて兄妹で鬼にしてあげたよ!!って感じに仕上げたということ…?宮野真守が…?」
親友はさらなる論拠をもって今や風前の灯となった私の言説をつぶしにかかった。
「そうそう。だってあんだけ人喰っておいて梅だけ人間の姿で天国いける可能性残されてるのおかしいでしょ。猗窩座だって恋雪さんの声は聞こえたけど一緒の場所には行けてないもん」
私は彼女と電話をしながら電話口で
「ア~~~~~~」と叫びながら膝から崩れ落ちた。
完膚なきまでの敗北であった。
論文の中で一度理論が崩壊することってあるんだ~!!!

青いイナズマが僕をせめ、梅は死んでた説がオタクを苦しめる

実際に、死後妓夫太郎は鬼のまま、梅は人のままの姿であるこのシーンに関する考察は多数存在しており、鬼になったときすでに梅は息絶えていたからなのではないか。といった意見は多い。
親友との論争で「梅、鬼になる前にくたばっていた説」が採択されてしまった今、
私達はそれによって生まれた悲しくも恐ろしい一つの可能性と向き合う必要がある。
これまで妓夫太郎と共に戦っていた鬼の梅は『お兄ちゃんによるイマジナリー梅』である可能性が高いということだ。イマジナリー梅って何??
闇が深すぎるだろ。私の心の中のちいかわも「ハワ…」と語彙力を失っている。
しかし、梅がすでに故人であったという方向で話を進めると、これまで述べてきた異様な兄妹の在り方は恐ろしいほど辻褄が合うことに気付いた。
堕姫が一人でそれなりにやれているのは、本来妓夫太郎があれこれやり繰りしているからであり、お兄ちゃんが出てきた途端に堕姫の振る舞いが幼くなるのも、お兄ちゃんがゲシュタルト崩壊なのも妓夫太郎の中のイメージが「生前の幼い妹」で止まっており、妹に求められる自分を望んでいるからだと推察できる。あれは鬼になった梅ではなく、妓夫太郎が望んだ妹の姿なのだ。
二人で首を切らねばならないというのも、彼らの共依存がうんぬんとかではなく、どっちも妓夫太郎の首だからである。依存しているのは妓夫太郎だけ、戦っているのは妓夫太郎だけなのである。もう倒れそうなんだが。

禍福は糾える縄どころか禍と禍しかないんだが

上記の仮説を支持するとなると、つまるところ妓夫太郎は生前も鬼になってからも守りたかった妹を守れぬままであったということだ。修羅の道を抜け出せず、自分だけが鬼になって永らえてしまったのである。堕姫との会話も、連係プレーも妹の背中に入っていたのもお兄ちゃんの独り相撲。こんな悲しいひとりずもう、かのさくらももこ先生も絶句であろう。
イマジナリー妹の皮をかぶった妓夫太郎を膝枕をさせていた無惨様はどんなお気持ちであったのかも人間である私には到底推し量れぬ領域である。
妓夫太郎を気に入っていたらしい無惨様は、その敗北について
「堕姫がいなければ勝っていた」「人間らしさを残しているから負けた」というような言葉を残している。妓夫太郎の敗因は妹を忘れられなかったこと、ひいてはあれほど嫌悪し憎んでいた人間としての情を捨てられなかったからなのだ。

兄妹の再会と終わり

死後の梅が人間のままであったということは、妓夫太郎が鬼になってからの長き間、梅はひとりぼっちで兄を待っていたのだと考えられる。その梅は
堕姫のような大人の女性の姿ではなく、死んだ当時の幼い姿のままだ。
妹に出会った妓夫太郎は「お前その姿…」と何かを悟ったような表情をして
「光の方にいけ」と梅と決別の意を示す。
もうお前も光の方に行けや!!!!!!!!どんな気持ちなん???
結局梅はそれを拒み、泣きながら妓夫太郎にすがって「ずっと一緒」という約束を忘れたのかとなじる。
梅の考える自身の幸せも、妓夫太郎の幸せも結局はきっと、ただ「一緒にいること」だったのではないだろうか。ささやかな願いすら叶わなかった中で藻掻いた兄妹の絆は痛ましいながらも私達を惹きつけてやまない。
最後のシーンで背中におぶさって泣きわめいて首に縋りつく妹の手を妓夫太郎は振り払えず、そっと手を添える。そして泣く梅を背負いなおし、彼は炎の中に消えていく。
その時の胸中は言葉で語られないが、妓夫太郎は妹を結局自分と同じ地獄へと進ませてしまうふがいなさと共に救いを感じていたのではないだろうか。
一つ確かなことは彼らの幼いころの約束が、地獄において果たされたということだ。
 
鬼にならず、妹を連れて人の身で戦う炭治郎。鬼に堕ちて妹の幻想を抱えて人を食らう妓夫太郎。
鬼として生き延びて兄と一緒に前へ進む禰津子。人の身のまま死に、暗闇で動けぬまま兄を待ち続ける梅。
 
本当に皮肉なほどに美しい対比となっている。
情緒やばいだろうがこんなの。
吾峠呼世晴先生…吾峠呼世晴先生~~~~!!!!!!!!!!!!!(語彙力の喪失)
今回の大論文は予期せぬドン返しに、思わず涙があふれたがこうして自分なりの着地点を見つけて二人の兄妹の在り方をひもとくことができた。
 言っておくが実際本当に泣いてるからな。
辛い結末にも目を背けず、オタクは明日も強く生きて、考察をしていこうと思う。
これからも力の限りキャラクター深掘りを続けて考察柱になるので
考察の呼吸壱の型くらいを習得するまではどうか見守っていてほしい。
 論拠が一度崩壊したにもかかわらず、ここまで読んでくれたみんなたち、
本当にありがとう。


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