渇き

今週の、いちばん。第14回/「渇き。」が止まらないのは、みんなが「からっぽ」だからだ。

映画「渇き。」を見るために気をつけたこと。それは、体調管理だ。
映画1本見るのに体調管理なんて大げさな話だけど、(少なくとも僕にとっては)コンディションのいいときに見たい映画や読みたい本がたまにある。
そこを怠ると「心と体を持っていかれる」のがわかっているので、今回は体調には十分気をつけた。
そしてそれで正解だったと思う。

「渇き。」は、そのエグい暴力描写や、決してハッピーエンドになりえないストーリーについて、いろいろ前評判を聞いていた。
ただ、映画を見てから一夜たった僕は、鑑賞後に感じた「空虚さ」のほうが印象に残っている。

(*以下、多少のネタバレを含むので「これから見る」方は十分ご注意を)

「渇き。」は小松菜奈が演じる加奈子に、ありとあらゆる登場人物が引き寄せられるかのように話が進んでいく。
父親の藤島も、恋心を抱くボクも、不良の松島や遠藤も、憧れる同じ女子高生も、これは巻き込まれたと言うべきだろうが一部の財界人や警察も。
それは(以下、あくまで自分の勝手な解釈にすぎないが)彼らみんなが、加奈子と交わることで世界が、あるいは自分が変われるという思いを抱いているからではないか。
その意味で、この物語の登場人物の多くが「からっぽ」なのである。

そして、言葉遊びのようだけど、「からっぽ」だからこそ彼らの「渇き。」は止まらない。
自分を満たすのは、加奈子と交わることで得られるナニカだから。
自分で自分を満足させることができない限り、加奈子という「毒水」に手を伸ばさずにはいられない。

でも、それは加奈子自身も同じだ。
彼女の印象的なセリフ「超ウケる」は、あくまでまわりの人間が踊らされることで生まれる言葉であり、誰かが「深い穴」に落ちて行かない限り、彼女は自分を満たせない。

すごく可愛いけど「からっぽ」な女の子に、同じく「からっぽ」な登場人物が群がり、最終的にはまとめて穴へと落ちていく。
「渇き。」をそういう映画だと解釈したとき、その「果てしなき空虚さ」に、どうしようもないけだるさを覚えた。

誤解しないでほしいのだけど、だからつまらない映画だなんて、これっぽっちも思ってはいない。
たぶん、「中身がある」ものを表現するほうが、もっと、ずっと簡単だ。
人によっては自分の「からっぽ」さまで浮き彫りにするような「渇き。」は、やはりとてつもなく暴力的な、イカれた映画だ。

今週の、いちばん心の渇きを恐れた瞬間。それは、7月13日、新宿の映画館で「渇き。」を見た瞬間です。

*「今週の、いちばん。」は、その1週間で僕がいちばん、心が動かされたことをふりかえる連載です(下の「このマガジンに含まれています」のリンクから全部の記事が読めます)

今のところ、全ノート無料にしていますが、「おひねり」いただけると励みになります!