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「会社の歴史」は、「人の歴史」。/今週の、いちばん。56

親という生き物は、いろいろなものをくれる。
火曜日、久しぶりに母親と食事をしたのだけど、転職祝いをはじめ、食べ物とか文房具とか、山のように渡された。
その中に、「三井の文化と歴史(後期:日本屈指の経営史料が語る 三井の350年)」という展覧会のチケットがあったのだ。
場所は日本橋で、家からは東西線一本。
そこで今日、それほど期待はせずに、三井記念美術館に行ってきた。

絵画なども少しはあったけど、展示物の多くは「書類」だった。
三井�家(のちの三井財閥)の基盤を築いた高利が、呉服屋の規則をまとめた「諸法度集」。
高利の遺書をベースに、長く三井家の家訓となった「宗竺(そうちく)遺書」。
呉服屋の奉公人の勤務成績をまとめた「厚勤録」や、同じく奉公人の不始末の数々を記した「批言帳」。
時代はぐっと現代に近づくが、明治時代の三井銀行の「欧米出張員報告書」や、旧・三井物産の「取締役会決議録」なども展示されていた。

これらの史料を見ていると、自然と、それらを(多くは手書きで)書いた「人」のことが思い浮かぶ。
三井家、三井財閥と関わった人間の総数は数え切れないだろうけど、上に立つ人間から現場で汗を流す者まで、彼らの日々の営みが積み重なって、いまの三井グループへとつながっている。

展覧会に来るまでは、「経営史料」という言葉に、無味乾燥な印象を持ったけど、実際はもっと生々しい。
長い歴史の中で、ときに幕府・政府の政策や天災に翻弄されながらも、知恵をひねって商いをし、三井のバトンをつないできた「人」の息遣いのようなものが、そこには感じられる。

この春、僕はまだ3期目のBOLBOPという会社に転職した。
大げさに言えば、歴史のある会社で働くことより、会社の歴史を築きながら働くことを選んだ。
けれど、会社の歴史の浅さは、そこに勤める「人」たちの汗した歴史の浅さだとも言える。

僕らの日々の仕事や決断やぶつかり合いが、少しずつ積み重なって、いまの会社の歴史となっていく。
展覧会のショーケースに飾れるようなものはまだないけれど、一歩一歩、前に進むことをやめてはいけないなと思った。

今週のいちばん、生々しい「歴史」を感じた瞬間。それは5月23日、日本橋の三井記念美術館の史料を見つめていた瞬間です。


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