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人は突然亡くなり、そして「問い」だけを残して去っていく。/書かないよりは、まし。27

今日、叔父が亡くなった。いや、正確には亡くなっているのを発見された。

本当はnoteなんて書いている場合じゃないかもしれない(実際、今まで、ろくに仕事もできず、母の事務的な手伝いをしていた)。
ただ、このタイミングでしか、正確に残せない気持ちもあるだろうから、少しだけ書く。

叔父は、僕の母親の弟だ。正直、好きだったかと言われると困ってしまう。特に、幼いころの僕だったら。

うちは母子家庭で、僕は中学生の途中くらいまで、母方の祖母の家に預けられていた。母が仕事を終えるまで、そこで過ごす。祖母は優しかったが、同居していた叔父は冷たかった。

彼からしたら、その家の「あるじ」、あるいは「主人公」は自分だという思いが強かったのだろう。急に居候をすることになった、いくぶん陰気な僕のことを、事あるごとに疎ましがっていた。

たとえば、祖母の家にはトイレが一つしかなく、叔父が用を足したいタイミングで僕が先に個室にいると、ドアを何度も蹴り上げるから、中で震えていたものだ。僕はいまでも大きな音を出す人を好ましく思わないけど、それは体にしみついた、あのときの記憶によるものだと思う。

叔父に対する自衛意識、だけではないけれど、僕は中学から柔道を始めた。その話を母から聞いたのか、一度何もしていないとき、叔父に寝室で馬乗りになられたことがある。文字通りの「マウンティング」。

あのとき叔父は何て言っていたっけ? いまさら思い出しても仕方ないのだけれど、妙に気になる。そのとき、僕は抵抗しなかったし、体格、体力的にも抵抗できなかったけど、そこが叔父の「絶頂期」だと言えるだろう。

後年、親戚の法事か何かでしか会わなくなった彼を見かけるたびに、「こんなに小さな人だったっけ」と驚いた。力による支配なんてそれくらいあっけなく、僕はいまさら彼をどうしたいとも思わず、ただ、眺めていた。

叔父は結局、家庭を持たず、祖母がいなくなったその家に住み続けた。仕事は言葉を選べば、「個人投資家」になるのだろう。それで食いつないでいたのだから、多少の才はあったのかもしれない。ただ、家でトレードばかりして、ろくに医者にも行かず、お世辞にも健康的な生活とは言えないだろう。
(まあ、自分も似たようなものではあるが)

母親には、(今日のことを予期していたわけではないが)叔父と一緒に住んだほうがいいのではないか、とよく提案した。が、叔父は最後まで聞き入れなかったらしい。

一人で亡くなることが、迷惑をかけないことだと思ったのだろうか?
でも、残された人たちには、それがいちばん(あえてこの言葉を使うことを許してほしい)「迷惑」な死に方だったりするんだぜ。

*   *   *

僕の周りだけかもしれないけど、亡くなる人はいつも突然で、こちらに答えのない「問い」を残していく。叔父だけではない。昔亡くなった、親父もそうだった。

叔父にとって、僕はそれほど邪魔な存在だったのだろうか。我ながら、決して可愛がられるタイプの子どもだったとは思っていないけど、あれほどまでに僕に苛立ちをぶつけていたあなたの、その心中を、本当はもっと知りたかった。

教訓じみたことを書くけれど、「今、知りたいこと」は「今、聞くべきこと」である。それほどまでに、人の一生は儚い。今日聞けないことは、明日、ますます聞けなくなる。

あなたの姉は、今日、あなたが好きだった大相撲をテレビで見ようと、ウチに来るって信じていたよ。そっちでも、決定戦ってやったのかな。

*   *   *

追記:一年に二回も追悼じみた文章をかくと思いませんでした。一回目はこちら。

さらに追記:虫の知らせとかあまり信じないんですが、最近、追悼文を集中して読んでいたんです。
狭義の「面白い」文章ではないですが、こちらの文末、スプレッドシートに何本かあるはず。よかったら、ご覧ください。


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