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「プロの条件」って、なんだろう?/今週の、いちばん。55

先日、元プロ野球選手と飲む機会があった。
僕は交友関係が広いほうだとは思うけど、さすがにそんな業界に知り合いはいない。
その元選手は球界引退後、第二の道を歩み出すために、いま大学院でビジネスを学んでいる。
そのゼミに、たまたま同席することになり、講義の終わり、みんなで近くのバーで飲んだのだ。

普段ならなかなか会えない彼の話はすべてが刺激的だったけど、いちばん記憶に残ったのは、次の言葉だ。

「僕は<プロ>野球選手って言われますけど、みなさんだって、仕事の<プロ>ですよね。だから、なんで他の職業に<プロ>がつかないのか、不思議に思うんです」

たしかに、「プロ編集者」なんて聞いたことがない(そもそもアマチュア編集者というのも聞かないけれど)。
でも、僕は出版社を辞めた今でも、「編集のプロ」だと思っている。
だとしたら、「プロの条件」って、一体なんなんだろう?

プロとは、辞書の定義なら「それを職業としている人」ということだろう。
でも、もう一歩踏み込んでみる。
それを職業としているなら、その仕事でお金をいただいているということだ。
では、なぜ、プロは人からお金をいただけるのか?
そのプロの仕事が人の役に立つ、もっと言えば、人を楽しくしたり、幸せにするということではないだろうか。
もちろん、この定義もより深堀りできるとは思う。
だけど、いくぶん浅いこの定義で、もう少し、話を続けよう。

「プロ野球選手」というのは、改めて考えれば、結構な言葉だ。
彼らのプレーには、人を楽しませ、ときには怒ったり悔しがらせたりする力がある。それもいちどきに何万人という人を。
だからこそプロだし、逆に、それだけのプレーや闘志を見せられない選手は、たとえそれを生業としていようと、もしかしたらプロと呼ぶのに値しないのかもしれない。

多くの人は、それぞれの持ち場で、「プロ」であるはずだ。
けれど、自分の仕事が、どれだけの人の心を動かし得るものか考えたとき、人は気軽に「プロ」を名乗れなくなるのかもしれない。
彼の全盛期は決して長いとは言えなかったけど、その晩、そこにはたしかに「プロ」がいた。

今週のいちばん、「プロ」の凄みを感じた瞬間。それは5月12日、表参道のバーで、あの選手とハイボールを飲んでいた瞬間です。


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