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「師匠」に、「師匠」はいましたか?/今週の、いちばん。47

昨日は久しぶりに、「華金」らしい一日だった。
珍しく会社を早く抜け出し、ネットで話題になっていた「女川ポスター展」を丸ビルで見て、宮城の食品を買い、そのあと十番で友人知人と肉をたらふく食べた。もう、ご機嫌である。
ご機嫌すぎて、ちょっと熱くなり過ぎたようだ。
その場にいた旧知の作曲家の女性と、何がきっかけか忘れたけど、「師匠」について話すことになった。

彼女の作曲の「師匠」は、才能も見識もすごく、その教えはなかなか厳しいものだったようだ。
けれど、早い段階で「師匠」に出会い、鍛えられたことを感謝しているし、だからこそ、今は自分が後進の人間に同じように接したいと思っている。
そんな話を聞くうちに、僕は、僕自身の「師匠」のことを思い出していた。

編集者として影響を受けた人はたくさんいるけれど、あえて「師匠」と呼ぶとしたら、それは一人しかいない。
僕は彼と今の会社で出会い、彼が辞める一年ほどの期間で、いろいろなことを学んだ。

当時僕は、編プロから転職したばかりだった。
企画はずいぶん出したけど、(今思えば会社が求める企画のツボを外していて)まったく通らなかった。
だから、僕はつねに誰かの下について「ヘルプ」的な立場で本を作った。
先月はAさん、今月はBさん、そして3作目はCさんの下…。まるで社内たらいまわしだ。
そんな中、「師匠」の下につくことになった。

「師匠」は違った。他の上司や先輩と違うところは多々あったけど、一言で言えば「熱量」が違った。
担当作の質を高め、一人でも多くの読者に届けるために、毎日、頭も体もフル回転していた。
著者への要求も非常に高かったけど、「師匠」の本にかける情熱を知っていたから、相手もその要求をクリアしようと必死だった。

「これだ」と思った。
自分に足りないもの。あるいは自分が欲していたもの。
まだ何の実績もなかったけど、「師匠」みたいになりたいと思った。
僕は勝手に弟子入りし、彼の本作りを盗んだ。
「師匠」と一緒に仕事をし、「師匠」が作った本を読みこむことで、その思考をトレースして、何もない自分の土台を組み上げた。
だから、僕の初期のヒット作は、彼の編集した本に、とても似ている。

けれど、ふと疑問が浮かんだ。
それだけお世話になった僕の「師匠」には、さらなる「師匠」がいたのだろうかと。

ここからは推測まじりで書くけど、「師匠」には、きっと厳密な意味での「師匠」はいなかったはずだ。
なぜなら、彼はうちの会社では「突然変異種」だったから。
もちろん、基本的な本作りは誰かに教わっただろう。
でも、タイトルのつけ方も、カバーについての考え方も、原稿の構成の仕方も、著者との付き合い方も、「師匠」はすべてが新しかった。

僕がそばで見ていた限り、「師匠」は基本、独学だった。
ヒットしている本、売れている著者、それらから徹底的に学び、自分のセオリーとして組み換え、本に反映する。
言葉で書くとあまりすごいことに見えないかもしれないけれど、これを高いレベルで実行し、なおかつ結果を出し続けるのは大変なことだ。
何より、彼には、迷ったときに、直接それをぶつけられる「師匠」がいない。
ネタモトとなる本に疑問をぶつけたところで、本は何の声も発しない。
ただただ自分で考え抜き、決めるしかない。

当時、僕は自分のことで精いっぱいで、「師匠」自身のことを考える余裕などなかった。
けれど、今思えば、そんな「師匠」がいかに孤独だったか。
僕の「師匠」はバカみたいにポジティブだから、その状況を苦しんではいなかっただろうけど、それでもやっぱり、大変なことだ。
たとえ一方的な師弟関係であったとしても、自分が師と仰ぐ人物がそばにいることが、どれだけ幸せか。
僕もいつか、「師匠」みたいに、誰かにとって心強い存在になれるだろうか。

今週のいちばん、「師匠」のありがたみを感じた瞬間。それは3月6日、麻布十番のマンションで、何杯めかの赤ワインを飲みほした瞬間です。


*「今週の、いちばん。」は、その1週間で僕がいちばん、心が動かされたことをふりかえる連載です(下の「このマガジンに含まれています」のリンクから全部の記事が読めます)

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