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75・桜の季節に逝った義母を思い出しながら~ロッド・スチュアートのI Was Only Joking 


ロッド・スチュアートの I Was Only Joking を久しぶりに聴いた。
しみじみとした気持ちになる。


この曲とは何の関係もないが、もうすぐ義母の命日だ。

「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

この西行の和歌のように桜の季節に逝った義母の法事は、いつも桜の花びらが舞っていた。

お葬式の後の親族の食事は、お義姉さんが 素敵な日本庭園のすばらしいところに決めてくれた。
何でも、その年の誕生日に義母を連れてくる予定だったそうだ。
桜の花びらが舞う中、美しくおいしい料理で(もちろん、そこにはいない義母のためのお膳も用意されていた)お義母さんは死んだ後まで私たちに良くしてくれてるんだなぁと思った。

義母は、男の子ばかり5人の子供がいて(夫は次男) あの当時はふつうだったが軍隊帰りの義父は子供に厳しかった。
しかし、体罰も行き過ぎたときは 義母は「やるなら私をやって!」
と子供たちの前に立ちはだかって子供を守ったのだ。

義母は肝っ玉かあさんといった感じではなく、シャイなかわいい人だったが、生活の苦しさに義父が「もう一家心中しようか」と持ちかけたときは
「死ぬなら、ひとりで死んで。私は子供たちと生きていくから」と言って
義父のやる気をそいだ。

夫は思春期に義母にスコップ持って追いかけられたことがあると言う。
私「えっ? 思春期なんてもう子供のほうが強いじゃん」
夫「オレが『生んでくれと頼んだ覚えはない』って言ったら
『じゃぁ殺してやる』って言ってスコップ持って追いかけて来たんだよ」
私「そりゃ、逃げるしかないね(笑)」

娘のキキコも以前、聞いたことがある。
「ばーちゃん、お父さんのことスコップ持って追いかけたんだって?」

義母「キキちゃんのお父さんは『生んでくれと頼んだ覚えはない』なんて言ったんだよ。憎らしかろ?
義母「キキちゃんのお父さんは、ホント 昔っから理屈っぽかった!」

義母は嫁たちのことは「うちは嫁さんがみんないいから」と褒めてくれたが
息子たちのことは、ケチョンケチョンに言ってた。(笑)

義母がうちに遊びにくるといつも 家がきれいになった。
わざとらしくやるわけではないのだが、脱ぎ散らかした服をたたみ、本などをそろえるだけで、家がきちんと見えるのだった。
台所の片付けも好きで、いつも「悪く思わないでね。わざとじゃないから」と言いながら、鍋などをピッカピカに磨いてくれるのだった。
私はいつも笑いながら「わかってますよ。クレンザー用意して待ってましたよ」と言って、台所のいろんなものがきれいになるのを喜んでいた。
しかも、私のキライな食器洗いを 「私の仕事を取らないで」と言ってやってくれるので大助かり。
台所をピシッときれいにするDNAは夫やタタオにも受け継がれてる。(私ではこうはいかない)

義母の住む団地には、義母のケンカ友達のような人がいて
キキコ「ばーちゃんたら、さんざんあたしにその人の悪口言ってたくせに、その人が来ると『入って 入って。お茶飲んでかない?』なんて言うんだよ」
私も義母を見て「大人になっても人の悪口言っていいんだ。ケンカしてもいいんだ」とホッとしたのを覚えてる。
クソ真面目な私は、どうも自分がちゃんとした大人になれてないようで自信がなかったが、そんな不安を吹き飛ばしてくれた。
私も娘も人生の機微というものを、ユーモアとともに義母に教えてもらっていた。
世の中に立派で有名な人はいっぱいいるが、私にとっては苦労した義母こそが人格者といえる人なのだ。(そう立派そうに見えないところがまたいい)

義母というより、一人の人間として大好きで尊敬してた。
たまに義母のことを思い出すと もっと夫に優しくしようと思うのだが
義母の「そんなにやらんでいいよ。あれは男ばっかりで育ったから女の気持ちがわからんからねぇ」という声が聞こえてきそうで
”まっ、いいか”と思うのだった。(笑)


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