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70・モーパッサンに親しむ

福田尚弘さんのnoteは、「とっつきにくそうな作家を中心に、解りやすい「入口」を提案します」とあるように、わかりやすい言葉で文学へ招待してくれる。短い言葉で、読みやすい。


本を読むのがめんどうな私は ネットであらすじを調べて、突っ込みたくなった。
福田さんのコメントの 
>確かに、フィクションは突っ込みどころ満載です(;^_^A 特にこういう濃縮された「人生もの」は、そういうケースが多々あるかもです(^▽^)/
「作り話」なので、眼をつぶりましょう(⌒∇⌒)!!!~~~>
を読み、ハタと気が付いた。
そうだ、私はいつもあらすじ(ネタバレ)の上っ面を読んで、こうなんじゃないの? と突っ込んでるけど、こういう読み方は違うんじゃないか・・・

と反省し、夫に「モーパッサンの『首飾り』はあるか?」と聞いたら、さっそく自分の部屋から持って来てくれた。
このすばやさで やる気がそがれないまま読めた。

読んでみて、私の突っ込みどころが全く見当はずれだと気が付いた。
じっくり読むと(短篇だけど)”そういうことじゃないんだよなぁ”と自分の間違いに気づく。
そこに流れる情感は、いろんなことを感じさせてくれる。
主人公の見栄だけで片付けられるものでもない。

同じくモーパッサンの「脂肪の塊」をお勧めしていただいたので、またもや夫に聞くと、翌朝 私の部屋の前の窓際に「脂肪の塊」の本が置いてあった。(相変わらず素早い)

読み応えがありました。
夫に「悲惨な話だけど、唯一 この主人公の娼婦の心がきれいなのが救いじゃない?」と言うと「そう言われてるじゃねーか」と言われました。

それにしてもモーパッサンってすごい作家じゃない?!(今ごろ、お前が言うな!って感じだけど)
人間をよく観察してるし、描写もすごい。
そして百年以上経ってるのに古くさくなく面白い。
さすが、百年経っても残ってるものは違う。

とりあえず、モーパッサンの短篇を読んでいる。
いや、すばらしい!
まるで、凝った小さなケーキのよう。
私の作る小麦粉と砂糖と卵の素朴なお菓子じゃなくて、
何層もの違ったスポンジや洋酒入りのクリームやゼリーやらが重なって、チョコでコーティングされて果物やアーモンドを飾ったような ケーキ職人にしか作れないプチケーキのよう。(たとえがヘン?)
こういうケーキは ゆっくり1個をコーヒーと味わいながら食べるのがいいのだが、あまりのおいしさについまた食べてしまうといった感じで、続けて読んでしまう。(やっぱり、例えがヘン?)


夫も「文学はゆっくり読むんだよ」と言ってるが、あわただしい毎日にそんな余裕はないと思っていた。しかし、このごろ 少しは余裕ができたので、こうやってゆっくり名作を味わうのは、なかなか楽しいと知った。

福田さんのおかげで、文学が苦手だった私も、文学に親しむという楽しみができました。
ありがとうございます!

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