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back number『冬と春』

 たしかに、冬に積み重ねた想いというのは春の暖かさの訪れとともに絆されていくものなのかもしれない。カレンダーを2月、3月、4月と捲っていくにつれて、わたしたちはそのコートを、マフラーを、手袋を手放して薄着になってみる。億劫だった外出もだんだん楽しみになってきて、花見という名目のもと桜の木の下で語り合ったりもしてしまう。そんな、寒い、暑いという2文字で表現できる気候の変化で、わたしたちの生活は様々な表情を見せる。

 嗚呼 枯れたはずの枝に積もった雪 咲いて見えたのはあなたも同じだとばかり
 嗚呼 春がそっと雪を溶かして 今 見せてくれたのは 選ばれなかっただけの私

back number『冬と春』

 わたしたちの日常に溢れる言ってしまえばごく普通の、書かれなければ消えてしまってわたしやあなたの胸にしか残らないかもしれないような出来事。誰にも知られなければ文字通り墓場まで持っていくしかないし、そもそもそれらを景色として明確に覚えていられるかはわからない。思い出はあやふやだし、いつなくなってもおかしくないもの。ところが、歌になっていれば話は変わってくる。少なくとも墓場までは持っていける可能性があるし、人によっては葬式で流す。

 思い出、いやその根幹にある想いそのもの、それらを主観客観なんでも用いて詩的に表現する清水依与吏の歌詞と、ときには島田正典や小林武史のストリングスアレンジで盛大な作品として、作品としてしまう。そこに楽曲の価値は生まれ、back numberを聴く価値も、また生まれるのだと思っている。

 『光の街』という楽曲がある。

 橋から見える川の流れは今日も穏やかで 日差しを反射してキラキラと海へ向かってゆく
 借りてきた映画は夕飯の後観ようねと 張り切ってるけどいつだって 君は寝てしまう

back number『光の街』

 以前「関ジャム」でも紹介された、情景描写→叙情描写へ移る詩。言い換えるなら風景→ごく個人的なお話。あなたはこの歌詞をどの観点から解釈したいだろうか。たとえば「こんなに幸せな日々を過ごしているから、『端から見える川の流れは今日も穏やかで、日差しを反射してキラキラと海へ向かってゆく』ように見えるんだね」というもの。これは王道的解釈だろう。恋しているからこそ街が光って見える。この曲がラブソングであるという前提に基づき、主人公が街を歩くさま、その傍らにはパートナーがいて、二人でワンルームのドアを開く、そんなさまを想像しているかもしれない。

 一方、別の解釈の提案。自然的現象と人間の営みとをイコールで結ぶというものだ。わたしが今回語りたいのはむしろここで、つまるところ「日差しを反射した川の流れのキラキラ」と「映画を観るぞと張り切ってるけど結局寝てしまう君」という、自然や季節といった逆らいようのないものと、恋愛感情や愛情とで肩を並べさせることで、寝てしまう君、つまるところ君の存在というのはそれだけ素晴らしく愛おしいものなんだと語っているという解釈。人間賛歌、ひいては日々の賛歌であるという視点である。

 自然を恋愛感情が上回る描写も紹介したい。他アーティストからの引用ではあるがさとうもかの『melt bitter』では、恋愛感情が自然を超越するさまが描かれる。人間の業は海よりも深いと言わんばかりの描写だ。

 あの夏にね くれたピアス 「ずっとありがとう」って海に投げたの
 忘れられる気がしたけど 思い出だけは波も飲み込みきれない
 心溶けた過去は消えないわ

さとうもか『melt bitter』

 そして、話は戻ってback numberの最新曲『冬と春』である。この楽曲は季節の変遷という自然事象に人の恋愛感情を重ねたものだが、その主人公の境遇はというと、世間一般の冬のラブソングでよく歌われるような、純愛の終わりや冬のさみしさというような王道の物語ではなさそうなことがポイント。ラジオ初O.A時に清水依与吏がこの楽曲の物語を少しばかり語っているが、要はこの楽曲の主人公は「最近言い寄ってくれてる人がいて、こっちもその気になりかけてたのに、どうも人づてに聞いたら別の恋人ができてるそうじゃないですか、あれ!?話違くない!?」という状況に陥っている人である。こういう主人公、back numberの楽曲でさえアッパーチューンで歌われ、「辛かったね!ね!笑い飛ばそう、もう!」という自虐の文脈で語られてきた一方、シングル曲となって、しっかりとしたストリングスアレンジと切実な比喩表現を用いてはあまり語られてこなかった存在である(そういう意味で、昨夏の配信シングルとは対になる作品だといえる)。

 最初に引用した歌詞をもういちど読む。

 嗚呼 枯れたはずの枝に積もった雪 咲いて見えたのはあなたも同じだとばかり
 嗚呼 春がそっと雪を溶かして 今 見せてくれたのは 選ばれなかっただけの私

back number『冬と春』

 「バンドマンと恋愛したら将来的に歌にされるよ」というフレーズはもはやイディオムに近いが、そんなものを超越している。思いを伝えていない片思いという、人に言わなければ自分だけのものになってしまう想いもここまで昇華されると、他人からしても美しい景色にさえ思えるようになってくる。

 この楽曲の情景描写はサビに集中していて、あとはひたすら心の内の吐露。その歌詞の構成によってまるで映画のような楽曲に仕上げてしまうのは、活動初期の『春を歌にして』や『幸せ』のような楽曲を思い出させる。『クリスマスソング』以前、まだこのバンドを知らない人にCDを差し出したりするときに、「なんか映画や小説みたいで」とか言っていたことを思い出す。「短編映画にもなったりしてるんだよ」

 そしてそもそも、「思いを伝えていない片思い」もまた誰かの人生にとって重要な事件であっていいはずだ、『冬と春』という言葉になぞらえて歌われるほどのものなはず。いま日記や短歌がブームになっていて、自分の人生を表現する方法が認知されてきている。誰の人生にも比喩表現は成立して、盛大なストリングスアレンジがもたらされるべきである——そんな、今までJ-POPのバラードが、そして何よりback numberがずっとやってきた人生を肯定するスタイルが正解になりはじめている。改めて「決して大きくない半径の個人的な事象を切実に盛大なストリングスサウンドにのせて歌い上げるバンド」だし、だからずっと好きで、聞いて、できる限りライブに行って清水依与吏の言葉を直接聞きたいと思わせるのだと思う。



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