見出し画像

日記;20240206 Laura day romance、最小公倍数

 今日は面接の日。9時にはきちんと目覚め、コーヒーを淹れ、飲み、ピザを温め、食べ。完全な朝ごはん(当社比)の一方で、12時前には家を出たのだが昼ご飯を食べそびれた。スーツにネクタイ、久々のワークスタイルだ。まともな社会人っぽいな。先日退職届が受理されて完全に無職になったわけだけども。

 某社の一次面接。一般常識の筆記試験があって、その場で最大公約数と最小公倍数の概念を思い出すことができた。最大公約数はあっさり思い出したのに、最小公倍数を求められて最大公約数を書いていたことにあとから気づき、最小公倍数とは…と必死に考えて回答した。プロセスはともかく正解なはずである。数学というか算数についてとことんアホだ。

 そのあと、面接。なんとか、なる。博多ラーメンを食べて帰路についた。

 場合によってはリキッドルームへ直接行かなければならないかも、と思っていたけれど余裕があったので一時帰宅。スーツをていねいに脱ぎ捨てライブに行ける格好に。恵比寿についたくらいで面接通過の連絡。

 恵比寿駅で友人と合流。Laura day romanceのワンマンライブのため、リキッドルームへ。整理番号が60番台だったので、左端のドリンク置きがあるところでゆったりと見れる。ローラのライブを誰かと見るのは初めてだし、たぶん彼女とback number以外のライブを見るのも初めてな気がする。お互いその場では気づいてなかったが。珍しくドリンクはビールにして、ちゃんと酔っぱらって楽しくなった状態で、今いちばん好きなバンドを見ることにした。

 Laura day romanceを褒めるときわたしはいつも「奇跡みたい」という言い回しを使う、それ以外がなかなか見当たらないので。ボーカルの花月さんの声はいつだってきらめいている。声、音、という物質が星を帯びることを知る。今日は病み上がりなのもあって辛そうではあったけど、それでも初見の友人からしたらとにかく花月さんがかっこよくて仕方がなかったらしい。彼女の「かっこいい」の基準にとんでもなくハマったそう。

 彼女もかなり長い友人だけど、彼女が何かを見てこんなに食らっている様子をみたのは初めてかもしれない。ローラが同世代のバンド、ということもあるけれどと前置きしたうえで、ずっと「同世代か、そうかー、そうか...」と感嘆。わたしは、ローラはあくまで自分が専門外とする音楽というジャンルをやっているので、そしてあまりにも自分の好きのど真ん中をいつも行くので彼女たちにその感覚をあまり抱くことはなかった。文学だったらこんなにファンできなかったかも。嫉妬で。

 けれど彼女は花月さんと同学年の女の子なわけで、そうすると感じ方も全然違うわけだ。一方彼女からみた今日のわたしは「これほど楽しそうなの初めて見た」そうで、ライブが終わって「今一番好き?」と聞かれ白状するように「はい…」と答えるほかなかった。back number見てるときと話が違ったらしい。

 わたし的ベストアクトは『書きたい』だった。去年、川島さんがバンドを抜けるタイミングの森道市場のアンコールで演奏された曲。あの時とは力強さがぜんぜん違った。『書きたい』と歌ってるけどある意味それは「歌いたい」で、「弾きたい」なのかもしれない。表現の欲求についての歌だ。わたしも今とてつもなく書きたくなっていて(友人曰く「回復した」)、感情移入したのかグッときた。新曲2曲も良かったな。

 ローラ、今年の秋には初めてのZeepのライブも決まって、なんかいよいよほんとうにデカくなっていく。うれしい。もう自分だけのものじゃないかんじ。そしてこの日は、ようやく人と一緒にこのバンドを観に行くことができた日だ。こんなにすごく、洗練され、きらめいていて、愛おしい人たちがいるということを共有できるのあまりに幸せで、ね!(ウインク)ね!(ウインク)みたいな感じで瞼がいそがしいのなんの。

 去年の12月にHomecomingsの対バンで見てから、ローラのライブに行くのは今日で7回目だった。この回数超えてるのback numberくらいだし、先月末のリリースの前は昨年4月が最後だったにもかかわらず、この一年自分のお気に入りプレイリストの上位からローラの楽曲が消えることはなかった。それほどまでにずっと愛しているわけだが、ちょっぴり久々にライブを観てそりゃ愛して当然だなと思った。今年の最大はZeep、でもほんと、武道館、なんとかならんか。2026年くらいに。とりあえずサカナクションの事務所に近いところがサポートするようなので安心。

 ライブ終わりは2年前くらいにふたりで行ったお好み焼き屋いまりで過ごした。意外とリーズナブルに行けた。ローラズはすごいね、という話をしつつ、今書いてる小説の話、そこから派生してフェミニズムの話、なんでまたわたしは書けるようになったんだろうという話をしていて、ボルダリング(してないけど)のあとのご飯会で『いちばんすきな花』に全部書かれた気がするみたいなことを話したときに、Oさんが「あのドラマに私は納得いってない!」と仰ってて、最近そのことを思い返して、ひとつの物語がすべてのひとを救いあげられる可能性なんてなく、だからこそいろいろな書き手がいるのだという当たり前のことを思い出すことができた。わたしの書く物語が誰かを躍らせる、救いあげる、寄り添う、そういう可能性のことをもう一度信じることが出来たのだと思う、という話をした。

 彼女はおととい、夫さんが食事中にスマホで動画を見るにとどまらずイヤホンまでしていたのにさすがにキレた、という話をしていた。「そういうことをよしとするために結婚したんじゃないぞ」とちゃんと怒ったらしい。さすがだな。そういう小さな孤独や気遣いのなさの繰り返しがもっとひどいことを引き寄せるから早いこと言うこと言っとかなね、ということと、そもそもけっこう男同士でごはんとか行くとスマホ見てる人とか多くて、それこそMなんかはおしゃべりで、彼女とわたしにしたって一生おしゃべりしてるけど(そもそもおしゃべり目的で会っている)、そうでない場面って意外と多いよね、と。男は寡黙で、その寡黙さにかまけていて、女性は話すことがひとつの戦い方になることもあるかもしれず、そこの差なのかなとか話す。少なくとも女友達がたくさんできる人というのはよくしゃべる、しゃべることが好きっていうのが必須条件かもしれないね、と。

 マジで結婚式楽しみだねと帰り道。新婦側友人にどんな人がいるかを教えてくれた。でもなんだかんだ一番おしゃべりをしているのは瀧本くんかも...となり、まあ我々はおしゃべり目的で定期的にこうして開催していますので...はじめてのマジ友人の結婚式、泣きそう、と本人に先に伝えておいている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?