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滝ノ上型土器との再会

茂木町の展示会

縄文土器に熱中し始めて間もない令和2年の秋に、栃木県茂木町のふみの森もてぎで開かれた「那珂川流域の縄文文化-縄文時代中期土器にみる地域性-」という展示会を見に行きました。その直前に茨城県立歴史館で見た特別展「Jomon Period - 縄文の美と技、成熟する社会 -」(令和2年10月10日~11月29日)がきっかけで縄文土器に興味を持ち、展示会巡りを始めたばかりでした。

那珂川流域の縄文文化-縄文時代中期土器にみる地域性-

関連講演会の動画は、今もYouTubeで公開されています。

ふみの森もてぎ歴史フォーラム (2020/11/22)
「縄文土器にみる那珂川流域の地域性」

ふみの森もてぎは高速道路から遠く、那珂川沿いの一般道を延々と車を走らせました。山中の細い道から突然街中に入って、そこにふみの森もてぎがあったという印象があります。ギャラリーや図書館などを集めた真新しい多目的施設でした。企画展の内容は、次のようなものでした。

今から約5千年前の縄文時代中期。栃木県北部から茨城県へ流れる那珂川の流域では、地域により異なる土器が使用されていたことが近年の調査で分かってきました。今回は上流から下流の三地域の土器の特性から、那珂川流域における縄文土器の地域性に迫ります。

企画展ポスターより

これが、大変面白かったのです。
縄文土器の展示というと、地元の遺跡で出土した土器を紹介するものや、対象年齢を下げて、不思議な形の突起や文様に興味を持って貰うというものが多いかと思います。この企画展はどちらの展示でもなくて、なんだか学会発表を見ているような内容でした。専門的な概念も出てきて初心者にとってはやや難解な面もあったのですが、縄文土器に関する学問の姿が垣間見えるような、新鮮な刺激がありました。

それもそのはずで、後から調べてみるとこの企画展は、とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター(当時)の塚本師也氏による、次の3つの論文をベースとしたものだったのです。

浄法寺類型を初めて知ったのもこの展示会でした。縄文時代中期、福島や栃木では新潟の火焔型土器を真似た土器(火炎系土器)が作られます。それはやがて地元の土器の要素である縄文を取り入れて在地化し、上半分が粘土紐の隆帯と沈線による褶曲文、下半分が縄文で、口縁に大きな中空突起を載せた土器になります。これが浄法寺類型です。

火焔型土器・火炎系土器・浄法寺類型の例
左:火焔型(新潟県 沖の原遺跡) 中:火炎系(栃木県 川西小学校遺跡) 右:浄法寺類型(栃木県 平林真子遺跡)

浄法寺類型が最も盛んに作られた栃木県の那須周辺では、出土する土器の主体を浄法寺類型が占める時期があります。新潟の中越地方で全土器に占める火焔型土器の比率が一割程度に過ぎないのと対照的です。浄法寺類型は火焔型土器からデザインを取り入れながら、土器としての役割は火焔型土器とはかなり異なっていたことが推測されます。

滝ノ上遺跡の土器

さて、この企画展では茨城県常陸大宮市の滝ノ上遺跡から出土したユニークな土器が目を引きました。見出しの画像の二つの土器です。どちらも直径と比べて背の低いどっしりとした器形です。特に左側の土器は直線を基調としたシルエットで、口縁の上にごつごつした突起が張り出しています。蛇体や獣面・人面などの生物的な装飾が多く見られる縄文土器には珍しく、エンジンとか戦車とか銃器を連想させるような、メカニックな印象を与える奇妙な姿の土器でした。

この土器は企画展を見終えた後も強く記憶に残ったのですが、その後あちこちの博物館や資料館を訪れて色々な縄文土器を目にするようになると、これと似たような土器が全く見当たらないことに気づきました。

もう一度滝ノ上遺跡の土器を見てみたい。しかしどこに行ったら見られるのか分からないのです。当時はふみの森もてぎには資料館はなく、一時的な企画展でした(現在は歴史資料展示室が開設)。そもそも茨城県の遺跡からの出土なので栃木県の資料館には常設しないでしょう。

滝ノ上遺跡がある常陸大宮市歴史民俗資料館にも行ってみました。この資料館は泉坂下遺跡から出土した弥生時代の人面付壺形土器でよく知られています。しかし残念ながらここにも滝ノ上遺跡の土器はありませんでした。そういうわけでしばらくの間、私にとっては「幻の縄文土器」のような状態が続きました。

人面付壺形土器(茨城県 泉坂下遺跡)

やがて、1年半ほど経って、「滝ノ上遺跡出土の異系統文様を同一個体に共存する土器:『滝ノ上型』の定義と文様の系統について」という論文[4]を、たまたまWebの検索で見つけました。やはり塚本師也氏の論文で、常陸大宮市教育委員会の出版物でした。Web上では本文が公開されていなくて、それでもどうしてもこの土器のことが知りたくて、酔狂な話ですが、常陸大宮市 歴史民俗資料館まで論文誌を買いに行くことにしました。これが吉と出ました。

展示室に入ると、縄文時代のコーナーがリニューアルされていて、滝ノ上遺跡の土器が二つとも展示されていました。やっとのことで再会に至ったのです。

滝ノ上遺跡 SK17土坑出土土器
滝ノ上遺跡 SK120土坑出土土器

「滝ノ上型」土器の研究

論文[4]の書き出しで、塚本氏はこれらの土器について「関東地方北東部の中期縄文土器を見慣れている筆者も、咄嗟に類例が思い浮かばなかったが」と述べています。縄文土器のベテラン研究者でも脱帽するほど特異な土器だったようです。

SK17出土土器の実測図と展開模式図(引用:文献[4])
SK120出土土器の実測図と展開模式図(引用:文献[4])

論文[2]では、この土器の特徴を「算盤玉状の体部の屈折部を区画して、その上部を施文域とし、渦巻文を中心とする文様を配し、直立もしくは内湾する口頸部に橋状の把手を配す土器」と要約しています。

さらに次のようにも分析しています。「(SK120出土土器)は阿玉台Ⅲ式的な爪形文を配し、空白部に中峠式にみられる矩形+渦巻文を沈線で施す。(SK17出土土器)は阿玉台Ⅳ式の文様施文技法で渦巻文を配す。口頸部には橋状把手を配し、SK120出土土器)は渦巻文、(SK17出土土器)は大木式にみられる横位の楕円形区画文を配す。(SK120出土土器)の体部文様の下端には、大木式にみられる横位沈線と波状沈線を配す。ともに、阿玉台Ⅳ式、中峠式および大木式の異系統文様を1個体に共存させた土器である。」[2]

論文[4]では、これらの土器のデザインを、器形や文様などの要素に分解し、周辺地域で出土した土器から類似した要素を探して、どういう系譜に属するかを検討します。

まず、算盤玉のような器形と最大径での横方向の区画は、南東北の大木式土器に見られる器形を縦に縮めたものと推測しています。

器形が類似している土器
右:大木式土器(福島県 法正尻遺跡)[5]

また、SK17出土土器の外側に張り出した楕円形の区画文も、福島や栃木の大木式に見られるとしています。

類似した楕円形区画文を有する土器
中:大木式土器(栃木県 浄法寺遺跡)[4] 
右:大木式土器(福島県 法正尻遺跡)[5]

煙突のように上方に突き出した円筒状の突起は、福島の大木式土器や火炎系土器に似たものがあります。

類似した円筒状突起を有する土器
中:大木式土器(福島県 法正尻遺跡)[5]
右:火炎系土器(福島県 石生前遺跡)

体部の上半の渦巻文は、関東の阿玉台Ⅳ式に使われるものと同じタイプです。隆帯の渦巻の上に縄文が施され、隆帯脇に沈線が沿っています。また同様に体部上半の三角形区画文も阿玉台Ⅳ式のものと考えられます。一方、三角形の頂部に置かれる菱形の刺棘文は、大木式に由来するものです。

体部文様の構成
左:阿玉台Ⅳ式土器(栃木県 赤岩Ⅱ遺跡)[4]
中:阿玉台Ⅳ式土器(栃木県 槻沢遺跡)[4]
右:大木式土器(福島県 法正尻遺跡)[4]

以上のように、滝ノ上遺跡の二つの土器は、広い地域にわたる様々な土器のデザイン要素を合成して作られた、キメラのような土器であることが分かります。

さらに、論文[4]では滝ノ上遺跡の2点の土器を標準として、「滝ノ上型」の定義を試みます。そのために近隣で出土した土器から、共通する特徴を持った16点の土器を類例として抽出しました。下の図の2つはその例です。左の坪井上遺跡の土器は、滝ノ上遺跡の土器と同じく、常陸大宮市 歴史民俗資料館で見られます。

「滝ノ上型」に類似した土器
左:茨城県 坪井上遺跡出土
右:茨城県 宮後遺跡出土[6]

しかし論文[4]では、「標準とした土器があまりにも特殊なことがやや問題である。形が整っているだけではなく、異系統の土器文様を共存させている。標準以外の多くの土器が、主に大木式系統の文様を用いており、複数系統の土器文様は採用せず、1系統の土器文様のみである。」「標準例は器形や文様やモチーフが整った”優品”で、類似例は崩れた土器との印象を受ける。」とも述べています。写真の類例は比較的整った土器ですが、他の類例の図を見るとそういう傾向も認められます。

類例が非常に限定されることから、塚本氏は、この土器の製作者や製作プロセスのありようが、従来縄文土器について考えられていたものとは異なるという可能性も示唆しています。

浄法寺類型と滝ノ上型

考えてみれば、浄法寺類型と滝ノ上型は、ほぼ同じ時期の土器でありながら、普及という面では対極にあるように思います。片や浄法寺類型は栃木や福島、さらに新潟の下越地方にまで広がり、那須周辺では出土する土器の過半を占めるまでになります。一方、滝ノ上型は確実にそうだと言える土器が2個だけ、類似しているものを含めても十数個です。

浄法寺類型は、流行の火焔型のファンシーな文様の上にゴージャスな中空突起を盛りつつ、扱いやすいキャリパー形のシルエットと慣れ親しんだ縄文を組み合わせたことが、大衆化した火炎系としてヒットした秘訣、といったところでしょうか。滝ノ上型は、様々な要素をコラージュして作り上げた尖ったアバンギャルドなデザインが、縄文人にとってハードルが高くて不発に終わってしまったのかも知れません。縄文人の目にはこれらの土器はとっつきにくいモダンアートのように映ったのでしょうか。

皆様も機会があれば、専門家の太鼓判付きの、ここでしか見られない希少で魅力ある土器を是非ご覧ください。
お付き合いいただきありがとうございました。

常陸大宮市 歴史民俗資料館
所在地:茨城県常陸大宮市中富町1087-14
休館日:月曜・祝日・毎月末・年末年始
閲覧時間:9:00~16:30
料金:無料

参考文献

[1] 塚本師也「近接する遺跡間における同一年代の縄文土器の比較 栃木県益子町御霊前遺跡と茂木町桧の木遺跡の中期縄文土器を対象として」研究紀要/とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター [編] 22 (2014): 55-68.
[2] 塚本師也「近接する遺跡間における同一年代の縄文土器の比較 (2) 八溝山地西麓と東麓の中期縄文土器を対象として」 研究紀要/とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター [編] 23 (2015): 1-20.
[3] 塚本師也「那珂川流域の加曽利 EⅠ 式初源期の地域差」研究紀要/とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センター [編] 24 (2016): 9-30.
[4] 塚本師也「滝ノ上遺跡出土の異系統文様を同一個体に共存する土器:『滝ノ上型』の定義と文様の系統について」常陸大宮市史研究/常陸大宮市史編さん委員会 編 5 (2022): 90-76.
[5] 福島県文化センター遺跡調査課「福島県文化財調査報告書243:東北横断自動車道遺跡調査報告 法正尻遺跡」福島県教育委員会 (1991)
[6] 財団法人茨城県教育財団 「茨城県教育財団文化財調査報告188:宮後遺跡」財団法人茨城県教育財団 (2002)

#縄文 #土器 #滝ノ上遺跡 #茂木町 #常陸大宮市


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