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縞馬(ランダムワード小説)

彼女がその男に恋することなんて、だいたい予想のついたことだった。いつだって彼女は僕にボーダーの服を着せたがったし、野球チームは縦縞のチームをこよなく愛した。
はじめてのデートで(まだ僕らが高校生だったころだ)動物園に行ったとき、シマウマの前でずっと立ち止まったまま、しばらくは話しかけても、手をつないでも、微動だにしなかった。そのあと、帰り際のグッズショップでシマウマのぬいぐるみを買い、彼女だけ思い出したかのようにもう一度ホンモノを見に戻り、僕は暗くなったテラス席でしばらく彼女の戻りを待った。帰りの電車で、大中小のサイズのぬいぐるみを抱え、まるで親と引き剥がされた子どものように、彼女は思い詰めた顔でずっと黙り込むのだった。
たぶん彼女の前世はシマウマだ。これは疑う余地がない。彼女自身、ボーダーやストライプの服をこよなく愛したが、それ以上に縞模様のものを見つけると心を奪われるのだった。しばらくバーコードを眺めていることもある。こんなに前世を重たく引きずっている人は珍しいだろう。
一度彼女に聞いたことがある。
「シマウマだったころの記憶はあるの?」
もちろん冗談で聞いた。一笑されるか、冗談で返ってくると思って。
「サバンナでなにかに追いかけられている記憶はあるけど、あとはあんまりないかな。ほら、シマウマって言語をもたないから」
そう言うと、とても寂しそうに、残念そうに、結露で濡れた窓ガラスに4本指を滑らせて、きれいな縞模様を描いた。
そんな奇妙な彼女だったが、シマウマ的なところを除けば、なかなか聡明で、それでいて少し抜けているところもあり、丸くて大きな瞳と長いまつ毛が可愛くて、僕にとっては自慢の恋人だった。正式に付き合い始めて三年が経っても、僕はときめきを保ちながら、彼女と接することができた。
そんな僕たちの前に嶋本が現れたのは、宿命的といってもよかった。嶋本は細身ながら、骨と筋肉の形がくっきりと浮き出るような逞しい肉体を持ち合わせていて、無口ながらよく通る声をしていた。
そして、これが最も決定的なのだが、嶋本の顔は深い皺が刻まれていて、色白の面に黒い縞模様がついているように見えた。初対面では少し恐さを感じるほど、深い切り傷のように皺が走っていた。
大学生になり、はじめて働いた引っ越しのバイトで、僕は嶋本に出会った。彼もまた僕と同じ大学の1回生だった。一度別の大学に通っていたらしく、年齢は嶋本のほうが2つ上だった。
彼がシマウマに似てる、ということに僕が気づいたのは、ずっと後、彼女が嶋本の名前を口にして別れを切り出したときだった。つまり気づいたときにはもはや手遅れだった。ああ、そうか、そうだよな、シマウマだもんな、と。
引っ越しのバイト代が、その日に手渡しということもあり、バイト帰りに嶋本と飲みに行くのが習慣になっていた。嶋本は基本的に無口だったが、聞き上手というか、一緒に飲んでいて飽きない男だった。声を上げて笑うわけでもなく、フフンだかヒヒンだか息を吐いて、肩を上下に静かに笑う。その動きにわざとらしさがなく、ついつい大げさに笑い話を語りたくなるのだ。
そうして、半年も経ったころ、ついに僕は彼女をその酒席に誘ってしまった。焼き鳥屋で嶋本を笑かそうと必死に話しを繰る僕をよそに、彼女は深く刻まれた嶋本の顔を、肉付きのよい体躯を、いかにも草食男子らしい静かな佇まいをうっとりと見つめていたのだ。彼女が、どちらかというと犬っぽい僕なんかを棄てて、嶋本に入れ上がるのに時間は必要なかった。
何度も嶋本に会いたがり、会えばのぼせたように見つめて、別れたあとには嶋本の話をする。三年間の僕らの関係は、砂のように流されて、目の前には逞しいシマウマが鎮座していた。
「さよなら、ごめんね」
そんな短い言葉が残されて、彼女は僕の前を去っていった。僕は人間の男に奪われたのではなく、シマウマに彼女を奪われた。そして、前世から続いた宿命に翻弄される彼女を止めることも、怒ることも、なだめることも、否定することもできないまま、それを静かに受け入れた。
だが。
だが、どうやら嶋本の前世は、シマウマではなかったらしい。シマウマみたいな現世の姿だったが、もしかしたら彼自身の前世は、アカスジカメムシだったのかもしれない。酒を飲んだらどす黒い真っ赤になる彼の顔を見ながら思った。
ということで、彼女はあっさりカメムシにフラレて、次の縞模様を探しに彷徨うのだった。今日もどこかで、二次元バーコードをじっと眺めているのかもしれない。

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