しずかちゃんとパパ 地上波最終回のコーダあるある

最終回のコーダあるあるです。
長いです笑
解説なく箇条書きのまま旧Twitterより転載します。
今回は放送前に投稿しました。
一緒にクスッと笑ってもらえたら嬉しいです。

パパは鏡。自分のぶつけた感情が跳ね返ってくる。

同じこと繰り返して言う癖がある。
大事なことほど。伝えたいことほど。手話もそう。
倒置法。割と使う。日本語で。

言葉に出すと感情が追いつかないことがある。
妙に客観的になる。日本語だと。

ケバブサンドどこに消えたか気になる。(視聴者目線)

「おまえと静が」手話表現が片手で「二人」になっていて
パパがふたりでひとつなんだと認めていることがわかる。

食事の並べ方きちんと同じ点対称。見た目が気になる。

都合悪い会話は「おしまい」の手話で終わらせる。

さくら先生の手話が手話のテキストから出てきたような手話でとても努力家なのがわかる。

パパの視線や姿勢、目線だけで考えてることがわかるときがある。

圭一さんの手話は、誠実な手話。
単語の選択が精査されていてきれいで丁寧です。

何もできないことが一番しんどい。
人のために何かするのが当たり前の人生だから。

「一人になる」のはパパ、そして私。
一人で生きられないのはわかってる。向きあうのが怖いだけ。

パパへの「大好き」を表すのが直接は恥ずかしいので
ちょっと耳のこと借りる。
「生まれつき」はそれぞれの個性。みんな持ってるもの。
「選ぶ」のは自分なのはわかってる。誰も助けてくれないと思ってる。
でも檻の中は居心地いい。

「すべての人」という表現は、
まず「きこえない人」が含まれているか気になる。

さくら先生の「たまごが鳥」の話。たまごは私でありパパである。

飛び出す勇気は先にパパが持てたことに気がつく。

「パパ」は横書き!(ファックスにて)

自分がいなくても、周りと通じているパパをみると、
嬉しいし寂しいし嬉しい。

パパの仕返しは一人で生きていけるという笑顔を見せてくれたこと。
それが餞(はなむけ)。

パパは鏡。パパが輝いているから私もがんばってみたい。

相手を否定することばは気持ちがわかると基本言わない。
「泣いてません」「はい」

パパも静ちゃんも赴任旅費が圭一さんの会社が出してくれるなんてこと、これっぽっちも考えてない。経験したことないことは知らないのだ。あ、幸江おばさんも知らなかったわ。

まずは形から。自立もお金から。

「お利口さん。」テープの声じゃなくて本物の声!感情がこもった、でも何度も聞いた「お利口さん」。

「パパ」と「お母さん」の謎。我が家と同じだった。
ちなみに「ぱ」と「ま」は唇合わせるので
似ている口形になって区別難しいのだ。

嬉しいときこそ照れくさいときこそ冗談いうよ。「足りない」

はんてん着て向かい合ってビール飲むシーン。
座り方が、お母さんも話の輪に入ってたね。

「きこえる」の表現が、よくある「健聴」の表現でなく、
「耳も口も賑やか」という表現だったのが「静」の理由を際立たせる。

「ありがとう」って手話はすごい。どんな気持ちも込められる。

時間が経つのがすごく遅いときと速いときとある。

「優しい優しい世界」は手話で「優しく愛しい世界」という表現でした。

「行く」という表現が、自立と別れの決意。
そして必要なときに戻ってくる場所という証。

「世界は優しいところ」は手話で「世界は自由」という表現。
自分らしくいても大丈夫という意味かな?

「私のままの私」手話で「私、自然な私」。人差し指で韻も踏んでいて美しい。
「圭一さんのままの圭一さん」は「圭一さん、自然、大好きな圭一さん」。
さりげなく「好き」をぶっこんでて最高。

「パパ」はすでに固有名詞。純介???

パパが最後に静ちゃんに言おうとしてたのは、何だったのかな?
手話は日本語と語順が違うから最後まで見ないとわからないや。残念。

紙吹雪は「パ」の象徴。
たくさんの「パパ」に囲まれて静ちゃん、行ってらっしゃい!

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