っていうnote。

今年のバレンタインデー。父が亡くなった。
で、2週間くらいバタバタして、介護ベッドの片付けられた部屋で横になり、父の見ていた天井を見た。
この気持ち、そして怒濤の2週間を記憶があせる前に残しておかねばと思い、ほとんど見る専用だったTwitterに呟いた。

それがこれ。

そしたら、あれよあれよと、手話に関わる人との繋がりが広がっていった。あんまり好きではなかった「CODA」という響きも嫌いじゃなくなった。好きな人が使っている言葉だったら嫌いになる理由ないし。

不思議だったのが、全く同じ文章をFacebookに載せたのに、反応がほぼなかったこと。
やはり、実名も知る仲の人は、実の父の死去の私との距離感難しかったのか。
その点、Twitterはよい。自由な距離感で、いい意味の無責任にいろんな呟きをかえしてくれる。ありがとう、ありがとう。救われたよ。

自分の頭の中を見つめるよい機会になった。
父から教えてもらったこと。

娘でいるのは、父の人生の中で一部分。知らない部分も多い。
この話をきいて、父、つええええなと思った。

自分に向き合うの、しんどい。
でも、日本語で思考しない私にとって、日本語で呟くのは結構難儀。
でも確実にTwitterがなければなかった時間。

いい子でいたかった。
親がああだからとか、言われたくなかった。
けっこう主体性なく、どう見られるか考えて生きてきた。
母が数学好きだったと言ったので、算数がんばった。
気がついたら数学好きになっていた。

「結局自分が思ってるより、親のこと大好きってわかってめでたしめでたし。」っていうnote。

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