しずかちゃんとパパ 地上波第5回のコーダあるある

そろそろ火曜日の習慣になってきました。
コーダあるあるです。
私の視点で私の解説。
コーダみんながそうではないけれど、
どこか考えてもらえるきっかけになれば。

今回はろう者がいっぱい出てました。
宝物は失うのが怖いので取り出さない。そんな気持ちよくわかります。
でも、宝物は手に取ってみてはじめて輝くのだなと思いました。
以下「コーダあるある」と「ろう学校あるある(昔)」です。

鏡越しで話する
→目が合ってたらOK。

嘘は言ってないけどホントのことも言ってない
→嘘は嫌だけど本当のこと言って傷つけるのも嫌な欲張りな気持ち。
 嘘は顔に出がちだしね。

早く大人になるからあんまり成長しない
→子どもの頃から大人の世界を見ているので、早く大人になるんだけど、まわりに追い抜かれることが多いかも。

人を見るのじゃなくて行動を見る
→あまり先入観とか偏見とかなく、その行動がいいか悪いかは判断できると思う。障害があるというだけで理不尽な判断されてきた親を見ているので。

散歩とウォーキング、手話が違うから違う行動
→無意識に脳内イメージが違うと違う手話になりますね。

口角あげて句読点
→手話文法らしいのだけど、けっこう無意識に親から学んでる。

さくら先生手話のセンスありすぎって見てる
→単語単語なんだけど、誤解のないセレクト。見てて補完したら理解できる手話。すごいセンス。

おかえりの手話「おつかれ」
→外は疲れるよね!

「大丈夫」多用しがち(2回目)
→魔法の言葉「大丈夫!」

「静か」は音のことじゃなくていつもいる存在がいないこと
→こういう感覚的な手話表現使うことあります。同じ言葉でも日本語が表す範囲を超えることあります。

親の旅行に普通について行く
→いろんなところ連れて行ってもらいました。天ぷらはもらわなかったけど笑

テレビの字幕は気にならない
→音なしも気にならない。それが普通。

「お母さん」と「パパ」(うちもその呼び方、本人を呼ぶことはあまりないけど)
→そういう家多いかも。理由はネタバレになるのでここでは略。

手をけがしたら「手話しにくい」がよぎる
→私は手は商売道具という意識あります。不便より話せないが先によぎります。

無地の服多い
→そのほうが手話見やすいのです。

周りの人のイントネーションうつりやすい
→大人のまねをして大人の世界にいたから、すぐにうつるんです。敬語もうつりますね。

ここから感想
静ちゃんがカセットテープをきいてるシーンで号泣してたら夫に不思議がられました。
自分が与えられないことを素直に人に頼れるパパがとても素敵だと思って胸がきゅんでした。
同窓会のシーン、手話が生きていました。良かった。
回想シーン昔のろう教育思い出して苦しくなりました。
口話教育・・・。
手話は禁止のろう学校。日本語が下手になり社会に出たときかわいがってもらえないからです。
そういう時代がありました。

<おまけ>ろう学校あるある
物の名前覚えるのに名札はる「ちゃだんす」。
家中に物の名前が貼っています。
文字を習うのも早め。言葉覚えるためにです。

「ぱばま」は発音練習で最初に練習する子音。
きこえやすい周波数帯域で唇を破裂させる動きもまねしやすいです。

手話禁止でも生徒同士で手話しまくるからろう文化の手話になる。
今のろう学校はきこえる先生から手話を学ぶことが多いので日本語対応手話になりがち。
昔の方が、ろう者がろう者の言葉を育てていた気がします。

舌の動きを手であらわすキュードスピーチっていうものがある。
母音は口の形、子音を手の動きで表現します。

記念写真撮影大好き。
やったら家中に集合写真ありました。
私のパパはいつも同じ笑顔でした。

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