空っぽな入れ物に荷物をたくさん詰めてくれた人たち(あるいは、僕という人間を形作る何か)

人間は、箱。
なんにもはいっていない、空っぽな箱。

大きさは人によるけど、生まれた瞬間は小さい。

だんだん大きくなっていく。

箱自体にはなんの価値もなくて、その「空っぽ」には「可能性」という名前が付いている。

何かを手に入れたり、何かを覚えたり、何かを習得したとき、その「可能性」を少しずつ減らしている。

でも箱に詰めた道具を使って、箱を大きくすることもできる。

「僕は、もともと空っぽな人間なんです。」
人に褒められたとき、時々こんな言葉が頭をよぎるようになったのは、いつからだろうか?

僕という人間を形作っているのはぜんぶ、誰かから、なにかから、少しずつ分けてもらった大切な何かだ

「よし、じゃあやってみよっか!」といつもなんでもやらせてくれた母の好奇心。
仕事であった面白い話をいつもしてくれていた父とお風呂屋さんにむかう車での会話。
「自慢の弟」といつも言ってくれる姉。
「あなたがなにをしていても、見ている人はちゃんと見ているからね」と言ってくれた中学2年の頃の担任。
「たっきーと話すと前向きになれるよ」と言ってくれる友人達。
モノや人に敬意を払う事を教えてくれた剣道。包丁の使い方から鍋の振り方まで全部教えてくれたアルバイト先のバイトリーダー。
「想像してごらん?」が口癖だった世界史の先生。
大好きな小説の言葉たち。
大好きな人達。
大好きな物たち。

こんな人やものが、僕という箱の中にたくさん詰まっていて、溢れ出しそうになるから、僕はいつも必死で新しい箱をつくる。

人や、ものを、大好きになると、その人の一部が僕の中に溜まっていくのを感じる。

僕という人間を作っているのは、ぜんぶぜんぶ、こんなものたちだ。すごいのは僕じゃない。僕はたくさんの出会いから、たくさんのことを学んで、それをみんなに配っているだけだ。
いまこんな事を書いている僕が使う言葉たちは、いつか僕がどこかから借りてきた言葉たちだ。

でも、僕と同じ中身を持った箱は、世界のどこにもいない。
僕は僕の中に溜まっていった全てが大好きで、みんなに見て欲しいと思う。
だから、喋ることも書くことも、きっとやめられない。
僕は、僕という箱が好きなんじゃなくて、その中に詰まったたくさんの荷物たちが大好きなんだ。

僕の中に残ってくれた荷物たち、ありがとう。
僕の中にこれから入る荷物たち、よろしくね。

これからどんな荷物を入れてもらえるんだろう。どれだけ箱を大きくできるだろう。どれだけそれを知ってもらえるだろう。
僕の可能性のスペースは、あとどれぐらい残っているんだろう。

今はとにかく、こんなにも前を向ける僕の心を作ってくれた過去たちに感謝して、未来の話をしたい。

恥ずかしい話を、恥ずかしげもなくしよう。

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