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人は他人からの評価を自分で勝手に決めつけている件

こんにちは、こんばんは
一昨日から7週間だけやる、「自己認知」の授業が始まったのですが、その内容がとても面白いので、ちょっとだけ書きたいと思います。

self-awareness :
自己認知が人とのコミュニケーションや自分の考えに深く関わるという理論です。
つまり、自分の本意を探っていくことで自分を理解し、相手とのコミュニケーションも変えていくという授業です。

その中で「人は周りからどう思われているかを、自分で勝手に決めつけている」という話がありました。
...どういうことか。

例えば、私の場合、授業中の発言が大の苦手です。授業中発言するのは「変人、真面目」と思われたり注目されるのが恥ずかしいからです。
共感する人がいるはずです。

しかし、本当に周りは、授業中に発言する人のことを「変人だ」と悪い意味で捉えるのか?

私の場合、他の誰かが授業中に発言している時、「変人だ」「真面目だ」と揶揄する気持ちにはなりません。
いちいち発言者を探さずに済むので、「授業の進みが良くなってありがたいな」と思います。
---どうでしょうか?

他のケースで思い当たるものとして、「お弁当を1人で食べていると友達がいない奴だと思われるのか」です。
よく、お弁当や授業を1人で受けるのが嫌だという意見を聞きます。理由は、「ぼっち」だと思われるから。

では、
逆にお弁当を1人で食べている人を見て、いちいち「あいつはぼっちだな」「あいつは友達がいないんだろうな」と考えてますか?(笑)

自己認知の授業以前に、このことは気になっていたので「果たして本当にぼっち弁当に対して人は注目するのか」プチ実験してみたことがあります。昼に大学構内のベンチで、1人でお弁当を食べて通行人の観察をしました。

...結果、誰も注目してきませんでした。目が合う人もいます。しかし、見ているようで、見ていない。こちらが通行人に目をやっても、景色の一部なんだろうな、というレベルの視線でした。
何かヒソヒソ言う人もいませんでした。

つまり私は、他の人から見て、「ぼっちの可哀想な学生」ではなく、「芸能人でもないただの一般人の一学生が1人でご飯を食べている面白くもなんともない景色」にすぎないということですね。

こんな感じで、「他人から」の評価を「自分が」決めている場合があります。
これは人間が自分のやりたいことが出来ず、社会を生きづらいと思う、1つの要因かもしれません。

自分で他人からの評価を決めつけている、ということに気づけるようになれば、ちょっと人生豊かになる、かも。

面白いテーマです。