まり子さんに赤い帽子を送りたい 3


ちかと僕は同じ研究室にいた。彼女は僕の3つ後輩だった。

初めて一緒に大学の帰り道を歩いた日。白い肌に切りそろえられた栗色の髪がかかって、赤らんだ頬にえくぼがあった。

あの日から久しい。僕らの研究室はもうない。教授の退職を機に彼女は研究を辞めてしまって、今は図書館で非常勤をしている。

僕は大学に残った。なんとか常勤の職をえて、生活を安定させられるようになった。

教養主義は失墜した。古典的な学問をやっている者は、理系であろうと文系であろうと軽んじられる。実用一辺倒だ。企業人が教壇に立ち口をだす。何を有難がっているのか?ビジネスの世界に生き残れなかった中途半端なやつらじゃないのか?

研究室のボスは、退職の時期を早めて辞めていった。先生に限った事ではない。かつての大学を、昭和の時代を知っている教員が辞めていく。ちょっと前は、定年後もポストにいようとしがみつく先生もいたというのに。先生がたはいう。もう、自分たちの出来ることはない、自分は残りの時間を自分の研究のために使いたいと。

僕が職を得たのは運が良かった。団塊の世代が去って、ちょっとした売り手市場だ。まだ研究者としては、若手の、右も左もわからない30代が、去った世代のポストに収まる。

僕には夢がない。叶えたわけでもなければ、叶えていないわけでもない。大学院を修了して以降、喉から手が出る程欲しかった安定を手にした。何とか、無事に仕事を続けて、家庭を持ちたい。

アカデミアで成果を残すのは、難しいだろう。僕らの分野は完全に飽和している。人並み程度に、そこそこの論文数を生産すればいい。あとは、淡々と学務をこなし、そこそこに授業をしてればいい。

ちかは賢い。にこにこしながら、もういいわって、軽やかだった。今の大学に未来はない。でも、僕は満足している。あとは、家庭が欲しい。

僕はちかを愛している。やっと専任になった。もう生活の心配することはないし、そのうち家も買えるだろう。そんな風に頑張れたのは、ちかのためでもあったからだ。結婚がしたい。

年末にプロポーズをした。

けれども、ちかにはぐらかされた。もう少し、自由にしてたいなと、えくぼを作ってにっこり笑い、遠い目をする。その目は何を言っても聞かないと言っている

ちかだってわかっているはずだ。僕らは「若い」時代の随分長くを研究に捧げた。アカデミアやキャリアは僕らを若手とみなすが、僕らの肉体は若くない。そろそろ次のフェーズに移らなければ、手遅れになる。

僕はちかに幸せになってほしい。ちかは若いかもしれないけれど、社会的には若くない。 もう、自分一人で生きていけるほど、仕事で稼ぐ事も出来ないだろう。僕はちかを支え、守るのだ。

年が明けて、ちかにあった。大師へお参りにいく。プロポーズの答えはなかった。

「まり子さんになりたいな」

ちかがいった。もう少し待てば、自分はまり子さんになれるかもしれないと。少し前から彼女はまり子さんの事ばかり話している。まり子さんは、彼女にとって一体何だっていうんだ?

 






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