見出し画像

柔らかなギロチンと断絶の河

※この記事は2019年9月に執筆した記事の再加筆記事となります。


大手企業で働いている40代の首を切っていくのは、人生を根元から壊しかねない、かなりエグい行為だなと感じます。

国としては労働人口減少を受けて65歳以上の人材にも働いてほしいという方針を打ち出しています。
"国民全員で支えあう社会保障"という表現をしていますが、悪く言えば「足腰の立つ間は働け」ともとれます。

個人的には一生現役を目指したいので、そこまで嫌でもなかったりはします

一方、大企業の一部では45歳以上の早期退職を促しています。
元々"リストラクション(リストラ)"という言葉自体は最適化を意味しているので、増えすぎた中堅社員を流動させて後進育成にコストを投じたいというのも最適化と考えられます。
特に今後は若い人材が減少していくので、貴重な若手社員にリソースをかけるのも頷けます。

とはいえ実態は恐らくバブル期入社の「ぶら下がり社員」の排斥ではないか、という意見もみられます。
その中で損保ジャパンは一定数の社員を介護事業の現場職に異動させるという処置も行っています。

介護の現場職が罰のように扱われている事には倫理的な問題を感じますが、日本においては社員の首切りは直接的には難しいとされています。
企業側のとりえる策としてはアクロバティックかも知れませんが、M&Aで断頭台を手に入れていたのか、と困惑も覚えます。

世代一般で語ること自体短絡的なのであまり良くないですが、バブル世代と聞くと、某コメンテーターが浮かびます。
TV番組で"貧困女子"がテーマの特集があり、某コメンテーターが「こんな生活して…バブルの頃を見せてやりたいわ〜」とコメントしていたことがありました。

今であれば「"パンとサーカス"ってマジで効果があるんだなぁ」など、ある程度距離を置いて見られるような気もしますが、当時は傲慢で浅はかにも思えるコメントに憤慨していました。

なおそれ以来、そのコメンテーターが出る番組は気持ちが疲れるため見ないようにしています。

感情を煽るのが耳目を集める強い方法ではありますが、考えものです

ドイツではおじいちゃんおばあちゃん世代で「ナチス時代が良かった」と話す方も居るそうだ、と聞いたことがあります。
ナチス時代に豊かな生活や経験が出来た層だった方はそう思うらしいですが、もしかするとドイツの正義感が強い若者は「幻想の豊かさに惑わされている!パンとサーカスだ!」と憤りを覚えたりするのでしょうか?

バブル世代の方々にとって、皆が皆、認識が享楽的な時代のまま止まっているとは思わないですが、平野ノラさんのバブリーな芸風が「お笑い」になる程度には、もはや世相は変わってきています。
あくまで世代一般では人物を推し量れないとは思いますが、時代に乗り遅れればもはや「お笑い」にしかならないのかな、と思います。

リバイバルで再評価されるもの、お笑いになるもの、その差はなんでしょうね

逆もあり得る話で、日本が黄昏れていく中でギリギリ社会保障を保ったまま一定程度裕福な生活が可能な世代が、胸を撫で下ろしつつ若者の貧困をコンテンツとして「うわぁ、苦労してるんですね〜」と消費しているような、そんな嫌な構図も思い浮かびます。

かなり偏屈な考え方ですが、コロッセオの時代から人間は進化してないのかなとも思いますし、世代が異なると別世代の課題解決は難しいなと思います。
少子化問題や貧困問題よりも、後期高齢者にとっては年金の方が身近なトピックですしね。

人はいつかは歳をとるので、自分にだって身近な話題になっていきます

リストラクション(最適化)によって氷河期世代の方に活躍の場が広がるようなことがあれば良いですが、なかなかそのビジョンは見えてきません。

ゆとり世代も30代を迎え、若くなくなってきました。
そろそろバブル世代のオムツを取り替える覚悟はしといたほうが良いのかも知れません。

うーん、そのあたりはAIがやってくれないですかね。
最適化が望まれます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?