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わたしの好きなDMBQ

 先日、わたしの好きなDMBQが新譜を発表し、そのリリースツアーが行われました。様々な情報を綜合し、彼らの踏み込んでいる領域を俯瞰してみたいと思います。

★★★

 2014年8月、約3年振りに表舞台に現れたDMBQのライヴは衝撃的なものでした。ステージに現れた彼らの中に、旧来からの主力メンバーである松居徹さん(ギター)と渡邊龍一さん(ベース)の姿はなく、増子真二さん(ギター・ヴォーカル)、和田晋侍さん(ドラム)と、見たことのない男性のベーシストという3人編成でした。そして、プレイする曲も、スローテンポで重々しく、基本となるリフを中心に組み立てられたジャムっぽいセッションを30分ほど続けるというものでした。それはそれで、轟音で、サイケデリックで、新たな一歩を踏み出す決意表明として賞賛すべきものだったでしょうが、長年のファンからみれば、あまりに突然で、もはや今までのDMBQとは、全くとはいわないまでもかなりの別物のバンドであるという衝撃を隠せませんでした(泣いてしまった方も)。この日を境に、長年のファンにとって、かつてのDMBQは死んだ(あるいは生まれ変わった)と考えてよいと思います。
 個人的な思い入れを述べれば冗長となってしまいますが、飛ぶ鳥を落とす勢いだった2000年頃は、ゆらゆら帝国やキング・ブラザーズらとともにガレージ/サイケのコンテクストのもと、ベルボトムに花柄シャツで火を噴くようなパフォーマンスをし、観客を熱狂の渦に巻き込んでいました。その後、2004年に吉村由加さん(ドラム)が脱退。西浦真奈さん(ドラム)が加入し、新たなライヴのレパートリーとなるナンバーを吹き込んだ新作をリリース(2005年)。しかし、その直後、アメリカツアー中の不運な事故により、加入したばかりの西浦真奈さんがお亡くなりになってしまいました。ほかのメンバーも負傷し、この時のメンバー及び西浦さんのご家族の気持ちはいかばかりであったかと推察するに余りあります。
 そんな辛い出来事と危機を乗り越え、2006年に元キング・ブラザーズの和田晋侍さんが加入し、バンド史上最も男くさい時期(多分)に突入。この時期のDMBQを初めて観たのは2007年初頭。初めて観た和田晋侍さんの迫力にど肝を抜かれました。その時に観た和田晋侍さんは、ドラムの上を歩いていました(←字面にすると変哲だけど本当に歩いていました(笑))。ライヴのレパートリーは以前と若干変わっていたものの、相変わらずの爬虫類的ステージングは他を寄せつけないものでした。拠点を大阪に移した増子さんが関西弁になっていたのも印象的でした。
 このライヴ以降、年に数回しかないDMBQのライヴがあるときは、わたしは可能な限り観に行きました。この頃にはライヴの動員数も少なくなっており、観るのはいつも大体同じ顔触れみたいな感じにもなっていましたが、それはそれで良かったです。何より、和田晋侍さん以外は40代に差しかかろうという齢で未だ変わらず昔からの強烈な爆音とパフォーマンスで圧倒してくれることにありがたみを覚えたものでした。いつまでもこれを演ってくれることはありがたい。逆に、いつまでこれを演ってくれるかわからない。だから、今のうちに浴びるほど観ておこう──わたしは、この思いで2011年までライヴにただ通いつめたものです。

★★★

 そして、2011年末のライヴを境に、彼らの活動がピタリと止まります。
 わたしは、来る日も来る日も彼らのライヴ情報を探し続け、それでも彼らは沈黙し続け、数か月待ち、1年が経ち、また2年が経ち、さらに幾月かが流れました。
 そんな折飛び込んできたのが、2014年8月の「メテオナイト」への出演情報でした。それはそれは、どれだけ待ちくたびれたかわかりません。やっとの思いでの彼らのカムバックです。そうして観に行ったのが、冒頭で述べたステージ。演じた内容が決して悪かったわけではなく、ただ受け取る側の準備ができていなかっただけです。ライヴ直後、ほかのファンとの間でもショックを語り合ったものです。今後のDMBQも観に行くべきか、そもそもこれはDMBQと呼んでよいのか──。宿泊先のホテルに戻ってからも、ショックと葛藤は続きました。SNS上の各ファンの反応も、概ね似たようなものでした。
 その後1度だけまた観に行き、その頃には、ベースは現在のマキさんに変わっていました。こういうもんだと分かった分だけ、この時は衝撃はなかったですが、やはり以前とは少し違うな……という思いでした。
 それ以来、わたしは彼らを観に行っていません。そもそも、ライヴというもの自体、観に行くことがほとんどなくなりました。多分、そういう齢でもなくなってきたというのもあると思います。DMBQも大人になり、わたしも大人になった。
 しかし、そんなわたしの勝手な思いを蹴飛ばすかのように、DMBQは不滅のヘヴィサウンドを轟かせ続け、突如13年振り(!)に新譜を出すという健在ぶりを発揮しました。

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 この新譜を、わたしはまだ聴いておりません。
 どのバンドにもある程度いえるのでしょうが、やはり彼らはライヴバンドだという思いがわたしに働いているのでしょうか。
 翻って、冒頭のリリースツアーのほうは、SNS上での反応を見る限り、概ね好調のようでした。やはり、50近くにもなって昔と変わらぬパフォーマンスを見せつけてくれる増子さんはとても貴重な存在です。

 ところで、今回のツアーでも顕著だったようですが、特に最近のDMBQは、爆音に過ぎるようです。耳栓をしてライヴに行く人が増え、しかも最近は耳栓を突き破るほどの爆音のようで、どんなライヴも大音量なものではありますが、彼らの場合はそれの度が過ぎるほどのもののようです。もはやこれは破壊的ですらあるといってよいでしょう。
 増子さんが最近何かの音楽情報サイトのインタヴューで仰っていたように、崩壊寸前のところに或る種の「美」があり、今の彼らが進んでいる道はまさにそういった「美」を追求する方向にあるのではないかと思います。あまりに巨大な音量で鼓膜というか身体を破壊しかねない演奏は、或る種の享楽的体験(言葉を超えたもの)を伴うといってもよいのではないでしょうか。
 精神分析家の向井雅明によれば、「美」とは、わたしたち言葉を話すようになった存在が根本的に喪失した神話的な充足体験である「もの」(フロイトはこれを“das Ding”と呼ぶ)にヴェールを被せると同時に、その奥にあるその「もの」を浮かび上がらせることで、一種のおとりのような効果を持つものであるとされています。この「もの」は戦慄を伴うものであるとされており、先述の「崩壊寸前のところにある或る種の美」は、この「もの」と「美」との関係から考えると、腑に落ちるところがあるのではないでしょうか。

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 ジミ・ヘンドリクスの革新性の1つはそれまで誰もやらなかったような大音量でブルースをやったこと、とも言われます。マーシャルのアンプをフルブーストさせ、ファズ・フェイスを踏み、位相を撹乱し、エコーをかけまくる。崩壊寸前の美を、技巧に走り過ぎることなく、グルーヴ感を損なわないギリギリの所で体現していたのだと思います。あるいは、音圧を上げまくり、音はデカければデカいほどよいというような審美性。ロックの歴史はトゥールの歴史であり、DMBQやその他のロックバンドたちの用いる基本的なトゥールは、大雑把に申し上げることをご容赦いただければ、ジミ・ヘンドリクスの頃からほぼ変わっておりません。それは、別にDMBQが進歩的でないということでなく、むしろジミ・ヘンドリクスのやり残したことを引き受けてくれているといったほうがしっくりくるかもしれません。
 彼らが特に何かむちゃくちゃ新奇なことをしているというわけではないですが、その限界まで挑もうとする破壊的な位相と歪みと残響による爆音の心意気(ライヴハウスのPAさんの心意気も含む)に、拍手を送りたくなります。爆音こそ法悦。フルブーストこそ正義。そして、やはり彼らを彼らたらしめているものは……絶妙なセンスですかね。

 なにはともあれ、彼らが歩まんとする長い道のりをこれからも見守っていきたいです。