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ある人物の伝記について

 この伝記は、ある学校の周年記念の一環として、創立者の生涯を描いたらどうかという発案で書き始めたものです。
 なにせ明治中期生まれの人物で、昭和30年代には逝去したので、生前の本人を知る人は今では殆ど生きていませんし、学校にも目ぼしい資料が残ってない状態でした。
 国会図書館を始めとした、各地の図書館や出身学校を当たって、当時の状況資料を繋ぎ合わせながら推測して書いています。資料の読み込みによる伝聞的なものも多く、正確な実像を描くのは難しい作業です。
 骨格が出来上がった頃に、パンデミックの影響で、足で稼ぐ物理的な資料の検索が難しくなり、それ以降は、ネットの資料を頼りに書き続けています。
 まだ推敲過程の文章ですので、至らない点が多いと思います。ここで、ほんの一部ですが公開しますので、note界の皆様に、至らない点をご指摘していただければと思います。なお、まだ公式ではないので、名前などは仮の名前としています。


以下本文

須田智樹という教育者の生涯

 須田智樹を一言で評すれば、学びを追求する人であったと言えます。教育者としての生涯にわたって、病に倒れるまで、一日も欠かさず夜が明ける前の、朝の5時前には起床し、朝食までの2時間あまりを、簿記や英語などの教育に関する自己研鑽に費やしていたと言われています。また、医師を志していた過去から、常に人の役に立つ事を最優先にする滅私奉公の心を常に持ち続けた事も特筆されます。この学びを常に追求し、滅私奉公の心を持ち続けるに至ったその生涯について述べていきます。

一、生い立ち

(中略)

二、学を求める執念と、海を渡った広島への転学

1、中学校入学と不本意な退学

 尋常小学校の卒業後は、優秀であった事もあり、新たに6年制の尋常小学校に続く2年制となっていた新制高等小学校を経由せずに、愛媛県立松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)に入学します。
 父の甚六は、兄の一郎が呉服屋修行を放棄して、東京に行ってしまっていたので、本当は智樹を後継ぎとして丁稚奉公に出したがっていましたが、周りの意見に従って、進学を渋々認めました。
 当時の松山中学校は、全校生徒約700人の、県下にあった3校の県立中学校で最大の規模を誇っていました。夏目漱石が、明治中期に英語教師として在籍していた事でも知られている中学校で、漱石の代表作である小説「坊ちゃん」の舞台となった学校です。
 過去に在籍していた者としては、司馬遼太郎の小説でドラマにもなった「坂の上の雲」の主人公になった秋山好古・秋山真之の兄弟や、俳人の正岡子規などが挙げられます。
 松山中学校では、正岡子規が当時在籍していた第一高等中学校(注1)で盛んに行われていた野球を、松山への帰郷時に、後輩である俳人として有名な河東碧梧桐に教えたのを機に、野球が流行していました。智樹も、入学の前々年である明治39年に正式に成立した野球部に入部し、文武両道の日々を送ることになります。優等生で堅物的なイメージが先行する智樹ですが、若い時には意外にも、流行に敏感な一面もあった様です。学業に打ち込みながら、野球にも情熱を向ける。現代の高校球児の様な学園生活が、卒業する5年後まで続くはずでした。
 そんな順調な学園生活が2年生の時に暗転しました。野球部の部活の練習中に、バットで打たれたボールが顔面に命中して、大怪我をしたのです。
 幸にも顔に傷は残らなかったのですが、これをきっかけに、元々進学に否定的だった父が、中学校に不信感を持つ事になります。すぐに野球部は退部させられましたが、怪我をした時の学校側の対応のまずさなどもきっかけに、度々学校側と揉める事になります。
 挙げ句の果てには、こんな危険な事をさせる学校にいる必要はないと、3年生になる前に退学を強制させられるに至ります。順調だった学業の道は、ここで最初の挫折を経験します。

注1
 第一高等中学校とは、現在の東京大学である帝国大学進学の為の予備教育を行う学校で、その後第一高等学校と名を変えましたが、一貫して帝国大学・東京帝国大学の予備教育を担い、戦後の学制改革で東京大学教養学部となり、現在でも東京大学全体の前期課程(前半の2年)の教育と、一部の学生の後期課程(後半の2年)及び大学院課程の教育を担っています。


2、失意からの再起と広島への渡海

 退学後は、止む無く父の元で家業の呉服業を手伝いましたが、学業への情熱は衰えず、学業ができる環境を求めて思案する日々を過ごす事になります。

(後略)

 今の段階で公開が許されるであろうと判断した範囲はここまでです。全体的にこのトーンで、成功と挫折を繰り返す人生を描いています。あまり盛った展開ではないので、伝記としてのインパクトには欠けますが、史実を正直に辿った結果であるので、仕方ないのかなとも思っています。
 このままお蔵入りの可能性もある企画なので、この記事で、一部でも世に出る事が出来て幸いです。noteの反応も加味して、今後この企画をこのまま継続していくかを、判断していきたいと思います。




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