2-7 社会科は学問のデパート

東京学芸大学に在学中に感じたことなどを綴っています。

前回は

 東京学芸大学について綴っていくのも7回目になりました。今回以降は国語科とか社会科といった科について、私の思い出せる範囲で述べておきたいと思います。私自身は社会科専攻でしたので、今回は社会科について、ある程度まで具体的に述べさせていただきます。

 社会科は、カバーする学問の領域が広く、人文系の歴史学、哲学・倫理学、社会科教育学、東日本では自然科学系に分類される地理学、社会科学系の政治学、法学、経済学、社会学で構成されていました。在学当時の教員の陣容は、数の多さは言うまでもなく文系では最大級だったと思います。それに加えて、それぞれの分野で著名な教授も多く在籍していて、正に学問のデパート状態。スーパー人文社会科学部に例えられる恵まれた環境でした。因みに、私が高校時代に読んだ社会学の入門書の編著者が、社会学所属の先生方だったのを入学した後に知り、びっくりしました。どこかで縁がつながってたのかもしれません。

 まず入学すると、当時は本人の希望で1・2年生の教養や必修科目の多い期間の所属をとりあえず決めます。3年生になるまでに自分の適性を考え、3年生以降の専門の科目が多くなる段階で改めて正式に所属を決める事になっていました。
 入学時に歴史や地理で入試を受けた人が多いので、当然歴史学や地理学所属を希望する学生が大半でしたが、この2つの所属に学生が集中し過ぎる為に、一部の学生は人気のない他の所属に回され落胆する者もいました。でも、これは学生への指導をきめ細やかにする為の形式的なもので、3年生で正式に所属が決まる段階では、他の所属に一時的に回された学生も、入学時に希望した所属に戻る事ができました。それは、前半の2年間で様々な社会科関連の必修科目の講義を受ける事で、実際の所属から興味が変化して、歴史学や地理学以外の所属にそのまま居続けたり、所属を変える学生が多くいた事実も関係しています。他大学の進級制度などとは対称的に、成績に関係なく自分の意志で自由に所属が決められる制度は、学生にとって優しい制度でした。

 所属の間の壁も無い訳ではありませんがかなり低く、所属以外の興味のある他の所属の科目の講義を取る事も自由に出来ました。国語科や社会科などの科の壁は厚かった割に、社会科内部の所属同士は比較的自由に行き来出来る環境がありました。そんな自由な環境が私の形を作った原点だったと、今になって思っています。 
 そんな自由さ故に、教員を目指さずに一般の公務員や民間企業などの別の道を模索する学生や、大学院進学で研究を究める学生も数が多く、刺激的な空間は、最初は窮屈さを感じていた専門学校の様な大学のイメージを、本当の「学芸大学」のイメージに変えるのに十分でした。恵まれた環境にいた事に今でも感謝しています。

 高校の教育実習の時に、世界史と倫理・社会でコラボした授業を行った経験なども、そんな自由な環境があったから出来た事だったと思います。地歴科と公民科に別れた今では望むべくもありませんが。

 以上、記憶を辿りながら、社会科の科の仕組みについて述べさせていただきました。

 社会科という教科自体について思う事もありますので、それはまた別の機会に述べたいと思っています。

次回は



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