久保ヲタクが久保のヲタクになった理由。

先行研究

こちらのnoteにて言及されている久保ユリカ3.0。
著者はみんな大好きトウメイキンギョ氏。

その洞察はさすがという他なく、内容についても大筋で同意できる。
細かいことを言うならばゆりかとか由利香と書くべきかも、とは思うものの、細かすぎる上にその時期は門外漢なので捨て置く。

さて、今回はこの3.0ではなく、2.0の部分について思うことを書いてみたい。
もはや昔の話といえばだいぶ昔の話だったように感じるし、それがために当時のことを思い出すのは難しいかもしれない。
ただ、もし思い出せそうならば、当時のことを思い出しながら読んでいただければ幸いだ。

その考えに至ったのは、久保ヲタクではない別口の友人が久保ヲタクと同席した際(謎解きの帰りだった)の、何気ない一言がきっかけだった。
要するに彼は、僕たち久保ヲタクを『似ているから久保ヲタクだとわかった』と表現したのだ。
その場では『いやいやそんなwww』などとまともに取り合わなかったのだが、その後もずっと僕の中に残り続けた。


久保ヲタクの類似性

思い返すと、確かに当時の久保ヲタクは、どこか皆似たような雰囲気を纏っていた。
もちろん、僕が僕と異質なヲタクとまともに交流できるのかと考えると、そんな自信はまったくない。
とすれば、類友という言葉で片付けてもいいレベルの話なのかも知れない。

あるいはこの文章は『僕が久保のヲタクになった理由』というタイトルのほうがふさわしいかもしれない。
が、少なくとも僕としては、そこまで外れてもいないと考えているのでこのまま進める。
もしあなたがそう思わないならそれでも構わない。


予防線を張るのはこのくらいにしておいて、話を進めよう。


久保ヲタクが似ていると言われて、僕は「何が似ているのだろう?」と考えてみた。
これに関しては、答えはすぐに見つかった。

答えは、久保ユリカそのものである。
正確には、由利香とかゆりかとか表記されるべき存在だが。


久保ユリカの向こう側

当時の久保由利香さんは、『久保ユリカ』としてえっちらおっちら活躍していた。
なんてもっともらしいことを言っている自分自身も、その『久保ユリカ』を意識したのは二期の直前で、だいぶ後半になってからだった。
ただその後半時点でも、『久保ユリカ』の向こう側にある下地が露骨に見えていた。

にこりんぱなでは放送事故まがいの沈黙を誘発し、胃痛ラジオでは謎の一人遊びに没頭する。

いまの彼女を見ているとそろそろ自信がなくなってくるが、確かにそんな危なっかしい久保ユリカが、当時は存在していた。

そのはずだ。


そして当時はそれをして、僕らは『闇』なんて表現していたものだった。

だが、何てことはない。
要するに、それは僕たちと同じものだったのだ。

自分のことは、誰だってよくわからない。
それと同じ理由で、久保ユリカという存在が理解できていなかった。
だからこそ魅せられていた。

これが、僕の考える、久保ヲタクが久保ヲタクになった理由である。


『成功例』としての久保ユリカ

だから、久保ヲタクは引き寄せられるように久保ユリカの元に集った(※1)。
いま思い返すと、当時に同質のヲタクが集まったのはラブライブ!という触媒によって『久保ユリカ』が広くヲタクの認知を得た結果だったのかもしれないと思う。

彼女はその後、きれいな言葉をかけ続けることで完璧なアイドルとしての上っ面をまとっていった。
トゥメキン氏の言う3.0である、アイドル化した久保ユリカだ。
この状態はかなりの完成度を誇る。
下地が見えないことに物足りなさを覚えるヲタクもいるほどに。

そしてそんな彼女は、歌手業(3.1とでも呼ぶべきか?)にも一区切りを付けた。
この後、彼女はどこに向かうのだろう……?

……などと、いちファンとして思いはするものの。
もはやアイドルとして完成した彼女は、僕たちの成功例の延長として考えられる存在ではなくなってしまっている。

僕ら久保ヲタクは、かつて同じものを抱いていたという記憶をよりどころとして、これからも久保ユリカの元に集い続ける(※2)のみである。

※1 当時は最優先。
※2 イベ被りを除く。


息をするように有料設定にすることに慣れてしまいました。
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