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俳筋力の鍛え方 -多作多捨-

俳筋力を鍛える上で「多作多捨」は避けて通れない。俳句の題材の「発見力」そして「描写力」が鍛えられる。

ただ、どうやって多作多捨をするかを考える前に、多作多捨をすると何が嬉しいかについてまとめておく。

1、あらゆるものから俳句の種を見つけられるようになる

多作するためにはとにかくネタを見つけないと始まらない。強制的に、どんなものからも種を見つけないと進まないのだ。鶏が先か卵が先か、よくわからないが、多作多捨ができるようになった暁には、俳句の種の「発見力」は相当鍛えられているはずだ。

2、描写・写生力がつく

俳句の種を見つけても、それをきちんと描写できなければ形にならない。これまでの経験から多作の最大の敵は”いい句を詠もうとすること"ではあるが、17音の器にとりあえず'乗っけるくらいはしなくてはならない。これもまた、鶏卵論争にはなるが、多作の暁には、即興の「描写力」もレベルアップしているに違いない。

3、投句が苦にならない

投句先がたくさんある。どれにも出したいが出そうとすると締め切りに追われて苦行のようになってしまう。で結局無理しないように投句を絞ってしまい結果、背筋力も衰えていく。そんな悪循環を経験している人は少なくないのではなかろうか。これも多作さえできれば解決だ。一つの題で1時間で、10~30句くらい作れたら、むしろどれをどこに出そうかに頭を使えるようになる。(もちろん、選に取られることだけに熱中し出したら、多作もままならないので、選はおまけ程度に考えないと苦しむことにはなる)

4、即興句会を楽しめる

僕が、背筋力を鍛えようと本気で思ったきっかけがこれだ。鍛錬句会なるものに参加して、30分でその場のお題で即興で詠む。周りは、10~20句も作れる中僕はといえば、1~2句しかも変な句を作るのがやっとの始末。これでは、折角の学びの機会も半減してしまう。何より、切ない。
即興句会でバンバン句を出せたらどんなに楽しい時間だろうかと思った。

5、学びの好循環が生まれる

いろんなものを題材に詠んでいると他人の句の鑑賞からの学びが倍増する(と思う。)だって、自分がうまく表現できなかったこと、自分が抱えた句材を見事に詠んでいる句に出会う確率が格段に上がるはずだ。
そこから描写の仕方や表現技術など意識的に学ぶことが多いはず。
勉強だって、一度自分で解いてみて学ぶのとただインプットだけをするのとでは効率が全然違うはず。

鑑賞だけでなく自分の句を世に出す機会も増える(多作しているんだからどんどん出してみればいい)そこからのフィードバックも多くなる。


などなど、多作多捨は一定以上俳句の力をつけようと思ったら必須だと思う。そして、鶏・卵論争にぶちあたる。俳筋力がついたら多作ができるようになるのか(鶏が先)、多作ができるから俳筋力がつくのか(卵が先)。

もちろん、僕は鶏無くして最初の卵を作ろうと言う試みをしているのである。まだまだ、できないが、少し道が開けてきた感がある。次の記事はその方法をシェアしたい。

今日の三句

『毒消し飲むやわが詩多産の夏来る』(草田男)
我にも多産の季節が欲しいもの。
『秋風や眼中のもの皆俳句』(虚子)
次回は眼中のものを皆俳句にしてやろうと思う。
『ごまめ噛み田も詩も作れない男』(えつぐまもる)
詩は作れる男になりたい。

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