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表現を止めるな!

職業柄もあるし、自分自身の気質もあるし、新しいことは基本的にやってみて自分で判断したい考えです。

大したことではないのですが、今年の夏にTikTokを始めました。TikTokをやっているのは幼稚だ、とかアホとか自己満、自己アピールだなんだと周りは否定的でしたが・・・。

やってみて

素直に驚きました。

今の若者はこんなに上手く動画や音楽や加工をやってのけるのか!?と。

もう本当に色々な職種の境界線が壊れはじめて、肩書きに固執していられない時代です。

YouTuberやインフルエンサーの出現で一般人とタレントの区分すら崩壊しています。

若手芸人でそこそこ人気あって、テレビや舞台に出ていてもTwitterのフォロワーが3万人~5万人。

例えば大阪でバーテンをしながらTikTokをしている恭平さん

変な顔加工で速度速めてテロップをつける

TikTokでのフォロワー46万人以上。その流れでTwitterでも約4.5万人にフォローされている。恐らく彼のバーは連日、盛況だと思う。

比較的マメな僕から見てもあの加工量は超めんどくさい(笑)

萩田帆風ちゃんも最初は普通の女子高生でしたが、ミス女子高生で準グランプリ受賞したり、グラビアデビューもしたようです。

ノンPKって意味なんやの?って思ったら「パンツ食い込みが直った」という意味でした(笑)

まぁ言葉や表現は進化しますし、利便性が良く人を傷付けなければ僕は何でもいいです😂

1000年前、あの清少納言も枕草子で若者の言葉の乱れに苦言を呈しています。

なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。


現代で言うところの「ら」抜き言葉のような言い回しを嘆いているのです。

年配の方が近頃の若者は言葉が乱れている、という定型文はよく聞きますが、どの時代のどの言葉が正しいのか僕には解りません。

若者の○○離れも言い換えれば

年配の○○執着とも言えます。

僕が学生時代だった2000年代前半はケータイメールが進化し始め、顔文字から絵文字、更にデコレーションメール(デコメ)が頻繁に使われていました。

メールを可愛くみせたり、大事なところに加工をかけたり、受けとる側へのインパクトを求めていたと思います。

僕が今の若者の加工に面倒くささを覚えるように、当時の大人達もデコメなどは面倒くさく幼稚に見えていたんだろうなぁと思います。

mixiが出てきて日本でSNSが始まりました。そこから

Twitter(文字)

Facebook(写真・文字)

Instagram(写真・加工)

TikTok(動画・加工)

どこまで進化するのか想像もつかないのですが、一つ言いたいのは、そういう自分より下の世代の新たな表現は自分たちの世代を踏襲しているので見地もなしに「否定をするな」ということです。

否定する材料探しするなら

肯定する材料を探した方が

人生は楽しくなるのでは。

SNSだけではなく、普通に歳を重ねると全てのモノが下の世代になってきます。

自分より下の世代の生き方を否定していると、晩年は目に映る全てのモノをネガティブ捉えるクセがついてしまうのではないでしょうか。

世代とか関係なくしても正直、身近にある便利なモノ、全てその気になれば否定出来てしまうんです。

だから若い世代の表現は大いに受け入れて、微笑ましく見守ってあげようじゃありませんか。

だから若い人にはどんどん自己表現をしてもらいたいなーと思っております!

余談ではありますが今夜はこのお芝居を観てきました!

大人の表現もまた素晴らしい!!
素敵な時間を過ごさせていただきました!

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