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母が私を思い出せなくなった日。

2017年4月25日 - 新社会人の私へ。

ちょうど、銀行口座に入金された初任給を見てニヤニヤしてますね?

そんな喜びもつかの間、あなたは次の週から始まるプログラミング研修で苦しみます。

さらに、営業ロープレで最下位を獲得します。

そして、大学卒業するとき
「インターンとかしてたし、怒られる気がしない」と豪語してましたね?

研修2日目に遅刻をかましていきなり怒られます。
しょうもない理由で怒られてるなと思ったでしょう。

そう思うなら、今のうちに時計の電池を取り替えておいてください。

あなたが大学時代から4年間愛用していた"大音量で鳴り響くピンクの時計"の電池がそろそろ切れます。

私が伝えたいのは、そんなことではありません。

あなたが、営業部に配属されてすぐに想像もしなかったような大きな事件が起こります。

お母さんが、脳出血で倒れます。

不幸中の幸いという言葉が当てはまるかどうかわかりませんが、地元三重県に帰省しているタイミングです。

一刻を争う状態で病院に駆けつけ、見たこともないような同意書にいくつもサインをすることになります。

医師からは、「10段階で、10が元気、1が死に近い状態だとしたら2です」と宣告されます。そのとき、あなたは、今まで全く親孝行をしてこなかったことを強く後悔します。

もし、新社会人の方がこのnoteを読んでくれてるのであれば、ここで読むのをやめて両親にLINEしてください。なんでもいいんです。

そして、ぜひ初任給であなたのご両親に一緒に何かする"体験"をプレゼントしてあげてほしい。

別に高いものを渡さなくていい、一緒に夕飯を食べに行くとかでもいいんです。

もちろん物でも嬉しいと思います。ただ、息子や娘と過ごす時間は、それ以上に皆さんのご両親にとって何にも代えがたい物だと思うんです。

私の話に戻すと、手術が終わってから何日もお母さんは目を覚ましません。医師からは「いつ目を覚ますかもわからない。目を覚ましたからといって体が動くかもわからない」と言われます。

そして週末が終わり、仕事のため東京へと戻ってから
あなたは本当にたくさんの人に助けてもらうことになります。

初めて配属されたチームのマネージャーからは

「お袋が一番大切だから、回復するまで三重県にいながら遠隔で仕事してもいい」と。

当時は今ほどリモートワークも盛んではなく、出社が基本でした。
新卒なんて尚更です。

(仕事を辞めて三重県に帰り、父親の仕事を継ごう)かなと悩んでいるあなたは、この言葉で本当に救われます。

そして、リモートで仕事をして数日。
奇跡的にお母さんの意識が戻ります。

急いで父と病院に向かい、キョトンとした顔で座るお母さんをみて、涙が止まらなくなります。

そして幸いなことに、お母さんは身体の麻痺などは全く無く数週間後には普通に歩いて、日常生活ができるようになるまでに回復します。

ただ、記憶だけが戻りません。

最初は、私のことを息子と認識しているかも怪しく、東京で働いていることに関しては完全に記憶から消えていました。

2年間のリハビリを経て、かなり昔のことも思い出したようですが、倒れる前と同じ記憶ではないです。

でも、それで充分なんです。「生きてさえいてくれれば。」
これは、母が倒れるまで感じたことなかったです。

今では、そんな母と少しでも多くの時間を過ごそうと、
大学時代より忙しくなったにも関わらず頻繁に三重県に帰っています。

noteを読んでいる新社会人の皆さんに1つだけ伝えたい。

社会人になって、仕事に打ち込み始め、一気に忙しくなり始めるこの季節。

大学時代の友人と卒業式ぶりに遊びに出かける予定があるかもしれません。
会社の同期とどこかに一緒に行く予定があるかもしれません。

でも、ゴールデンウィークの予定が、
まだ空いているのであれば、

お父さん、お母さんとご飯を一緒に食べにいってはいかがでしょうか?

山下


※2024/04/18追記
この記事を書いて6年が経ち、今は昔の記憶も戻り普通の生活に戻りました。毎週毎週つきっきりでリハビリをしてくださった理学療法士の皆様。記憶を戻すためにたくさん家に来て話してくださったご友人の皆様。本当にありがとうございました。

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