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#29 軸を持つということ

満足はしてないよ。
まだ、先があると信じてるから。

数ヶ月ぶりにnoteを開いて書いてます。
あっ、知らないうちに600人以上も
フォロー頂いてて嬉しい話です。

さてさて、何を書こうかと思ってたのですが、
タイトルの通りで書こうかな。

最近、色々な環境の変化があって
自分の中で明確になったもの突き詰めたいものなど、
色々と見えてきました。

その中でも大きかったのが、
自分が何者なのかということ。

これまで、フォトグラファーと写真家というカテゴリーなのかジャンルなのかよく分からないけど、
自分がどちらに分類されるのかが分からなかった。

趣味で始めて、Lovegraphに出逢い。
そして、カメラを仕事に選んだ自分にとって、
自分がどちら側なのか分からず踠いてた。

そもそも、考えてすらいなかったのかもしれない。

そんな中で明確になったことで、
張り切って撮ることができるようになった。

たが、それも1人で見つけたわけではなく、
写真家である高橋伸哉さんとの会話の中で見つかった。

正直な話、自分の中でエゴのような
こう撮りたいという概念はそもそもない。

そこに流れる空気の中で、
見つかる1つの煌めきを残したいというのが強かった。

いわゆる、『記録』としての側面だ。
まぁ、カメラを始めたきっかけも『記憶』として残ることへの関心が強かったのだがこの話はまた今度しよう。

楽しかった瞬間。
悲しかった瞬間。
心が動いた瞬間。

それらを残したいというものだった。

少し逸れてしまったので話を戻そう。
つまりは、自分の中は空っぽだということ。

空っぽが故に、
その場の温度で撮りたいイメージが湧いてくるし、
何を求められているのかを素直に反映できる。

それに気づけたのは、
今の自分にとっては本当に大切なことだと思う。

もちろん、このまま行くつもりもないし
生涯をかけて撮りたいものに出逢うかもしれない。
そうなれば、自分のための写真を撮り始めるかもしれない。

でも、今はこれでいいし、
これを貫いていきたい。

軸はあれど貪欲に、
軸はあれど柔軟に。

まっ、写真を楽しく撮れてるなら
それでオッケーって事で。

では、また書く日まで
taku.


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