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気前の良さほど、自分自身をすり減らすものはない(『君主論』第16章)

※この記事は2022年1月24日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。

皆さんは誰かに「気前がいい」と言われたことがあるだろうか?「気前がいい」というのは簡単に言うと、惜しみなく何かを与える行為のことを言う。
「気前がいい」と誰かに言われたとき、どう思うだろうか?
嬉しいと思うだろうか?それとも違うだろうか?

人によって色々意見は違うだろうが、少なくとも僕は「嬉しい」と感じる。これには二つ理由がある。
一つ目は、他人から褒められたことが素直に嬉しいから。もう一つは、自分が誰かに貢献できたからだ。例えば、友達と食事に行ったとき、自分が奢れたときは嬉しいと感じる。「自分も誰かに奢れるようになった」という貢献があるし、実際友達からも感謝されるからだ。
きっと皆さんの中にも、気前がいいと言われて嬉しく思う人がいるのではないはないだろうか?

ところが、この気前の良さというのは、度が過ぎると、自分の首を占めることなるというのが、今回の話したいことだ。

ここまで聞くと、気前の良さ、つまり人に何かを与える行為というのはいつでも素晴らしいことのように感じる。
それはその通りだ。他人に貢献したいと思うのなら、できるだけ多くの人に気前良く振る舞えば、それだけ尊敬もされるし信頼も得られる。
ただここで強調したいのは、いい意味で「身の程を弁えろ」ということだ。これは自分の身を守ると同時に、受けなくていい批判を回避する意味も込めている。

以前『君主論』という、15世紀から16世紀に活躍したイタリアの政治家ニッコロ・マキャヴェッリの著作を紹介した。改めてどんな本か簡単に説明すると、「君主たる者がいかにして権力を維持して政治を安定させるか」という内容が全26章にわたって綴られている。
その中の第16章にこんな記述がある。

気前の良さほど自分自身をすり減らすものはないので、あなたがこれを使えば、それだけこれを使う能力を失っていき、あなたは貧しくなって侮られるか、あるいは貧しさを避けるために、強欲になって憎まれるかである。

古い時代に書かれた本である上にイタリアの書籍なので言い回しは難しいのだが、言わんとすることはなんとなく分かっていただけると思う。
つまり、気前の良さを示したいがためにそれを際限なく振る舞い続けると、自分が貧しくなって見捨てられるか、急にケチり出すことで憎まれるか、どちらにせよ害悪しかないということだ。

これは元々、君主が民衆のためにお金をどう使うかという文脈の中で使われた言葉で、民衆から「気前が良い」という評判を受けたいがために事業などに財産を注ぎ込みすぎると、国全体が貧しくなって、その焦りで一部の人間を贔屓したり民衆を抑圧するような行動をして信頼を失ってしまうということを主張している。

確かに日常生活においても、お人好しすぎるがために、金づるとして他人に都合よく利用されてしまった人、あるいはしている人を見たことがある。その人たちは、「他人によく思われたい」とあまりに自分をすり減らしてまで尽くそうとする傾向がある。
これは自分にとっても、相手にとってにもいい選択とはいえない。どこかで区切りをつけないと、過度に周囲を期待させて苦しい思いをしてしまう。

ではどうすればいいのか?
区切りをつける必要はあるだろうが、気前良く振る舞う行為自体は悪いことではない。ならどう考えればいいのか?そこで一つの答えになるのが、先ほども伝えた「身の程を弁えろ」というものだ。

『君主論』には、気前良く振る舞うに当たって、「普段はケチん坊であれ」と言っている。一見矛盾してるように聞こえるかもしれないが、これがすごく重要な考え方なのだ。

例えば戦争が起きたとき、普段から気前良く振る舞っていたら、いざという時にお金を動かすことができない。国を守るためには、普段から倹約に努めて、戦争の際には一気にお金を動かすことが重要になってくる。君主にとって何より優先すべきは、民衆の顔色ではなく国の維持だ。ならば、普段はケチん坊だと言われることをある程度覚悟しなければならない。逆に言うと、それができないなら君主にはならないほうがいいということだ。

これを現代の言葉で言い換えるとするなら、「いざという時に気前の良さを振る舞うのが大事であるから、普段はケチでいることも覚悟する必要がある。それができないなら、最初から気前よく振る舞おうとするな」と、こういうことだ。
退き方を知らずに気前良く振る舞っても自滅するだけなら、初めからそんなこと考えない方がいい。

これは特に、複数人で何かしらの企画をやる時に、リーダーがお金をどう使うかという問題にもつながってくると思う。それは会社内もそうだろうし、旅行先の予算配分、あるいは文化祭の実行委員の仕事などにも使えると思う。もちろん、ちょっとした打ち上げやデートにも応用が効くだろう。

「いざという時」がどんな時かはそれぞれ違うだろうが、少なくとも、何も考えず評判だけを気にして気前良く振る舞うと、得する前に損するので、使いどころを見極めてから行動した方がいいという話だ。

僕も昔は人からよく思われたくて、やりたくもないことたくさんしてきた。それはお金に限らず、打ち上げの場所取りとか、荷物持ちとか、色々だ。そんなことを続けていた僕にとって、こういうのはすごく耳の痛かった。
きっと皆さんの参考にもなるだろう。

参考文献:君主論 (岩波文庫)

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