【書き殴りシリーズ】EVと内燃の話

長文記事をメインにすると時間なくて途中まででとまって、そのまま他に書きたいことあっても躊躇しちゃうので、短文書き殴りシリーズをば。

EUの完全EV5年延期でまたEVか内燃か、どっちにするねん論が盛り上がっているのでここで個人的意見を。ツイッターでも何度も書いているので、たくさふの考えとしては既出の内容。

最初に結論から述べると、EVと内燃車はそれぞれにメリット・デメリットがはっきりしてるんだから、うまいこと共存させて適材適所で使えばいいでしょ。という事。
なんでかしらんが、この話になるとEVはだめ!内燃はだめ!って極端な主張がやたら多い。すぐ二元論化する。あとEV乗らず嫌いも多い。いいからとりあえず乗ってから語れ。
というかこの話に限らず二元論にみんなしすぎでしょ。そりゃ世界から戦争が亡くならんわけだ。

EVは音がしないから嫌いとか、内燃はうるさいから嫌だとか、まあそういう個人的好き嫌いはいい。好きにすれば良い。それは自由だ。
ただ、車の今後を考える場面ではそういう趣味嗜好はいったん横に置こう。
感情論ではいつまでたっても水掛け論にしかならんのよ。

集合住宅が多く電気使用量の多い都心ではEVは難しいだろう。保管場所がなく、マイカーを持っていたとしても一家に一台が基本だから、長距離に不安のある現在のEVじゃ旅行にも不安だ。少なくとも今なら内燃車一択。
一方で地方では一軒家が多い。一家に二台どころか一人一台なんて事もある。そうなってくると、お買い物専用カーはSAKURAのような100km走れる小型EVで十分だ。
なにより、地方ではガソリンスタンドが都心のような密度では存在していない。フルサービスでかつ昼しかやっていないなんてことも多い。そうなると、家の駐車場で給電出来るEVのほうが便利なんじゃなかろうか。

話は飛んで、運動性能的な部分。内燃車にはアクセル開度に呼応したエキゾーストという官能面でのアドバンテージは間違いなくある。ただし、この感覚が万人の感覚ではないことは忘れてはいけない。
日経ビジネスで連載されている「走りながら考える」のマツダCX-60の記事にて、マツダ虫谷氏が「EVではエンジンでは実現できないほどの分解能でコントロールできる」と話している。これはトルク特性や応答性に起因するものだと考えられるわけだが、究極のコントロール性と言われると興味が湧いてこないだろうか?俺は湧く。
というか、実際に乗ったことがある身からすると、きっちりと意図をもって仕上げられたEVはとても良かった。もちろんなんじゃこりゃなEVもあったが、このまま進化したら欲しいかも、と思わせてくれた。
乗ったことがない人には是非一度乗ってみて欲しい。

あと、これを書いてて思ったが、自動運転論でも、最近の車はアシストばかりで、技量の足りない人間のために高価になるなんて!みたいなの見るけど、技術進化というのはそういうものじゃないかと。
普段使いにシンクロなしのMT車乗りたい?俺は乗りたくない。
技量不足の人はあぶねえし乗るなよという気持ちは非常によく分かるが、そういう人がいるからこそ、安全技術が成長するわけで。いやこれはちょっと極論かも。

ただ、仮に免許をもっと厳しくして技量を絞った場合、限られた人しか運転できないようになると、むしろ一気に自動運転の整備が進んで、街では免許を持っている人も自分で運転することが禁止になる、という未来もあり得ると思う。

昔は馬が普通に道路を走っていたわけだが、自家用車の普及だったり安全面だったりいろんな要因があって、今じゃ牧場や専用の場所でしか基本的には乗れなくなっている。いやルール上は乗れるけど、一般的にということね。
それと同じように、実際に自分で車を操作したい人はサーキットとかの限られた場所でのみ許可される。なんて未来はないとは言い切れない。というか結構可能性高いんじゃないかとすら思っている。

なんか話が発散してしまったけど、書き殴りだからOKか。そうですね。
うっせえ頭でっかちロジハラすんなとか言われそう。
まあでも思うことがあるならまずは自分で発信しないとね。人の意見のRTしただけじゃ、それは意見の発信にはならないからね。
対面でも通話でも、文章でも、なんでもいいから意見を交わす(交わすのが大事。ぶつけるではない)ことがもしかしたらより良い将来につながっていくんじゃないでしょうか。と良い加減らしき言葉で今回はおしまい。

なんか愚痴みたいな内容じゃなくてもっと「まちカドまぞく」の魅力とか「インスト音楽の楽しみ」とかそんな内容も書きたいですね

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