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原風景ってなんだろう

高専を卒業後、大学編入を経て晴れて大学生になった頃、文系の授業に興味を持っていた。単位数の都合で、専攻外の授業を多くは受けることができなかったけれど、そんな中、芸術学科の「映像デザイン論」という授業を受けた。

写真を専門にしている教授が教鞭をとり、人がどのように目の前の風景を捉えようとしてきたか、といったことを講義していたような気がする。

その授業の最終課題は自分自身の原風景について書いてきなさいというものだった。

原風景:原体験から生ずる様々なイメージのうち、風景の形をとっているもの。 - 大辞林
原体験:その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの。- デジタル大辞泉

この課題の意義は、「原風景を振り返り、自分自身に影響を与えたものを認識することで、自分自身の軸を強固にすることができる」、とかなんとか当時は思って納得した。

そんな課題で提出した駄文が発掘されたので、下記に加筆修正して供養する。
どうやら、当時の私は「人の死」について書いたようだ。

ーーー

私が小学生の時のことだ。当時、確か104歳だった曾祖母が亡くなった。その秋のある日は、私の原風景の一つだ。

始まりは夢だった。
何故かわからないが、白い靄のような少し気味の悪い夢を見た。その後、ふと目を覚ました。窓の外を見ると、まだ空が青黒くて、いつもなら寝ている時間のようだった。しかも、少し肌寒い。

腹が減ったので、家族を探そうと居間の方に意識を傾けるが何やらあわただしい。そんなことを感じ取っていると、母が私を起こしに来た。表情を見ると、歯を食いしばるような、何かをこらえるようなそんな表情だった。私が尋ねる前に母はこう言った。

「ひいおばあちゃんがなくなった」

と。人が死ぬなんてことをリアルに感じたことがない私は、正直、どんな感情を抱けばよいのかわからず、その朝はそのまま学校に登校した。

そして、途中で学校の授業を抜け出すことになり、家に帰ると親戚が集まっている。会釈するように挨拶し、畳の上に敷いてある布団の方に目をやる。金色の家紋のような刺繍が入った布団に青白い顔の曾祖母が横たわっていた。なんだか亡くなっているようには見えず、どちらかというと、その布団の柄もあいまって、綺麗にみえた。

そして、あれよあれよという間にお葬式が始まり、その間もずっとその綺麗な死体に人があつまり、話しかけるように別れを告げていく。本当に曾祖母は死んでしまったのだろうか。

死体は火葬されるということは、小学生ながら知識を持ち合わせていた。告別式の朝、火葬場に死体が運ばれていく光景を横目に、大人と一緒に別れの挨拶をとばす。

死体を乗せた車が遠ざかるにつれ、自分の頬にツーっと涙が流れていることに気づいた。物質として立体的に存在していた曾祖母をもう永遠に見ることができない、人の死よりも永遠の別れを感じて涙した。

ーーー

どうも読み返してみると、本当に文中の出来事が思想形成に影響を与えたのかというとよくわからない。

むしろ原風景ではなく、記憶に残っている出来事のように思える。

他に原風景があると思うし、1つではなく複数ありそう。
結局のところ、原風景を振り返るとはどういうことだろう。
なんだか、自分自身のもっている強い思想を認識していないと振り返れないような気もする。

でも、記憶に残っている出来事が、思想に影響を与えて、原風景に昇華しそうな気もする。

それにしても、興味深い課題だった。

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