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ゲゲゲの沼から抜けられない/「推し」という概念が怖いパート2(日記)


こんばんは。とらつぐみです。数週間前も寒暖差にキレていましたが今週も寒暖差ひどいですね。風邪ひくわ。

さて、このブログは毎週更新で隔週で小説とエッセイを書くことにしていますが、今週分のエッセイが何も思いつかないので日記です。

なぜ思いつかないかというと、2週間前に鬼太郎の映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を見て以来、心を失ってしまったからです。

映画は結局5回行き(12/3現在)先週末は気づいたら新幹線に乗って調布にやって来ていてと、鬼太郎に関係すること以外の「私生活」がいなくなってしまいました。

今週はそんなオタクがこの2週間何をしていたか、という日記です。要するにオタクの自分語り兼備忘録です。興味ないわ、と言う人は今すぐブログを閉じて映画館にゲゲ謎を観に行ってください。


↓ネタバレありの映画の感想はこちらから(めちゃくちゃアクセスが伸びて自分でも慄いています)。この日記にはネタバレはありませんのでご安心を。




ゲゲゲの沼から抜けられない


『ゲゲ謎』は人を狂わせる?(公開前)



『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(略称:ゲゲ謎)が公開されたのは11/17(金)。その日は仕事が全然終わらず、残業して家に帰ってきました。

家に帰ってきてTwitter(現X)を覗くと、何やら様子がおかしい。映画を観に行った人の呻き声が流れてきたのです。

というか公開される前からTwitterの様子はおかしかった。映画公開前に公開された鬼太郎の父(のちの目玉の親父)と水木青年のビジュアルが数万リツイート(リポスト)されているわ、まだ予告映像しか解禁されてないのに親父と水木青年のほのぼの子育て二次創作が大量に流れてくるわ。

わたしが鬼太郎を好きになったきっかけは、たまたま見た鬼太郎の第6期アニメシリーズの第一話です。

幼少期見ていた鬼太郎はアニメ5期(でも記憶にある回は数話しかない)ですが、6期アニメを機に鬼太郎(や他の水木作品)と妖怪が好きになり、原作漫画を買ったり、水木しげる記念館がある境港やアニメ6期の舞台になった調布に聖地巡礼に行ったりしました。

鬼太郎シリーズは息が長いジャンル(原作漫画は1950年代、アニメは60年代からやっている)ので、ファンが大勢います。年齢層も(調布や境港のお客さんを見た感じ)、原作漫画や60年代の第1期シリーズを見ていた大人から、第6期シリーズリアタイ勢の子供まで幅広いです。

それを差し引いても、この映画の盛り上がり方は異常だな、というのが、映画公開前のわたしの感想でした。


禁断症状(映画初見〜3回目)

そして次の日、近くの劇場まで『ゲゲ謎』を観に行き、観終わって劇場を出たあと、「ああ、なるほど」と1人納得しました。

想像以上に重く、それでいて鑑賞後は温かい涙が止まらなくなるストーリー、圧倒的な作画と劇伴、そして人の心がない来場者特典……

映画鑑賞後、色々な感情に埋め尽くされて、なかなか言葉が出てきませんでした。

呆然としたまま、次の日すぐ2回目を観に行きました。

(そして、呆然としたまま家に帰り、次の日は仕事だというのに、夜中までかかって先述の感想ブログを書きました)

そこから数日、仕事中や夜にふと目が覚めたとき、鬼太郎親子と水木のことが頭に浮かび、考えすぎて眠れなくなるというのを繰り返しました。完全に禁断症状が出ています。

……禁断症状が出たので、次の週の木曜日(勤労感謝の日)に、3回目を観に行きました。3日しか我慢できてない

3回目は友達(鬼太郎は特に好きではないが顔に傷があって耳が欠けている男が好きなオタク)と一緒に観に行き、見終わったあとパンケーキを食べながら2人で「いや〜……」と頭を抱えました。


その時食べたパンケーキ。チーズの塩気で甘すぎず美味しかった。


「他人と行った」以外に1-2回目と3回目で違う点としては、水木しげるの『総員玉砕せよ!』を読んでから観た、というところでしょうか。

作中の水木青年の戦地での体験は同作品の内容(≒水木しげる先生の体験談)から来ている、と聞き、遅ればせながら購入して、一晩で読みました。

読了して、「なんでこんなことのために主人公たちは死なないといけないのか」と、怒りを通り越して悲しみや虚しさを感じたと同時に、水木先生があとがきに記した「玉砕で生き残るのは卑怯ではなく、“人間”としての最後の抵抗だったのではないか」という言葉に、「ああ、水木青年は“人間”として生きることを諦めなかったんだな」と、しみじみ思いました。

(他にも水木先生の戦記ものはあるので、色々読んだ上でいずれきちんとした形で『総員玉砕せよ!」の感想も書けたらな、と思っています)。


そうだ、調布に行こう


3回目の映画を観た後、興奮冷めやらぬまま次の日は仕事に行きましたが、その次の日の午前中にはゲゲゲ忌(水木しげる先生の命日である11/30付近に行われているイベント)で賑わう調布に着いていました。

とらつぐみは関ヶ原より西に住んでいるので、調布は新幹線に乗って(なんなら1泊して)行くところなのですが、いてもたってもいられず、気づいたら新幹線のチケットをとっていました。

わたしが行った日はゲゲゲ忌期間中最後の週末で、老若男女たくさんの鬼太郎ファン(コスプレをした人やちゃんちゃんこを着たちびっ子をたくさん見ました)で調布の街は賑わっていました。深大寺の鬼太郎茶屋に行ったりスタンプラリーで聖地巡礼をしたりして、1日はあっという間に過ぎました。


喫茶で映画のコラボメニューを食べられる鬼太郎茶屋。わたしが行った時喫茶は3時間待ち(!)でした。


3時間待って飲んだ念願のクリームソーダ。手前は持参した目玉親父。


調布駅前は至るところに鬼太郎がいるので嬉しくなっちゃいますね。


生まれてきてくれてありがとう……という気持ちになった「鬼太郎誕生」のジオラマ

鬼太郎茶屋は5年前、調布の街は4年前のゲゲゲ忌で行ったきり、コロナや就活やらで足が遠のいていましたが、イベントの賑わいや、街まるごとでゲゲゲ忌を祝っているのを見て、「現場」に足を運ぶのはいいな、としみじみ感じました。

その日は夕方には調布を出て家に帰り、翌日、余韻冷めやらぬまま4回目の映画を観に行きました。

その次の週(つまり今週)も、久々に二次創作を書いたり5回目を観に行ったりしたのですが、すでに2000字を超えているので省略します。とにかく、とても濃い2週間でした。


推しという概念が怖いパート2


鬼太郎親子のここが好き!


……ここまで、映画をきっかけに鬼太郎への熱が再燃して日常に戻れなくなってしまった(私生活が死んだだけで仕事はちゃんと行ってますよ!)オタクの備忘録を書いてきました。

前回(2023/10/16公開)の日記でも書きましたが、最近自分の好きなキャラクターを「推し」と呼ぶことに抵抗を覚えるようになってきました。でも、鬼太郎と目玉親父はやっぱりわたしの推し(BIG LOVEの意)だな、ということを実感した2週間でした。
(↓前回の日記。魚の目の話は読まなくていいです)


『ゲゲ謎』の映画は、(無論、6期アニメ鬼太郎の前日譚ではありますが)、それだけで完結した作品です。でも私はこの先も、(第7期のアニメとかで?)新たに紡がれていくであろう鬼太郎親子の物語をずっと見ていきたい。『ゲゲ謎』は、私のそういう気持ちを思い出させてくれる映画でもありました。


私のブログは好きなものを書いて言語化するために書いているので、鬼太郎と目玉親父の好きなところを書いておこうと思います。

幽霊族という、妖怪というより「人間以外の別の生き物」(として原作で描写されている種族)の生き残り、最後の2人
↑この設定だけで何合でもご飯が食べられる。

親子として互いのことを想っていること。漫画の鬼太郎もアニメの鬼太郎も、皆「お父さんが好きな子供」と「息子を愛する父親」。
↑4期アニメの目玉親父は「親バカ」設定らしいと聞き「ほおん……」となりました。

・「お化け」ではあるが丸っこく、プリティなキャラデザ
↑小さい頃は原作絵の目玉親父が怖かった記憶があるけれど、今は漫画でもアニメでも「鬼太郎かわいい」「目玉親父かわいい」という感想しか浮かばない。そういう正反対な感想が持てるほど(?)、怖さと可愛さが同居するすごいデザインだ……


「推し」は「大好き」以上のなにものでもない(存在しないことわざ)


一応言っておきますが、「みんなも『推し』を見つけて時間と金と私生活を溶かそう♪」という意図でこの日記を書いたわけではありません。

単に現状日記として書ける私生活の内容が「鬼太郎熱が再燃した」しかないだけです(?)

前にも書いたのでくどいですが、すごい額のお金や時間を注ぎ込むことを煽る意味で使われる「推し」という言葉には違和感があります。理性を失うほど好きという状態の方が普通ではなく(自分で言うな)、ちゃんと「私」の部分を保ちながら好きなものを楽しむ、というのが本来のはずです。


ただそれでも、『ゲゲゲの鬼太郎』という作品が好きで、その作品に自分が大きく影響され続けている、ということは、書き残しておきたいと思います。

今後も、好きな小説や漫画、アニメを楽しみ、自分が良いと思うことにお金と時間を使い、好きであることを表明するだけのために「推し」という言葉を使いたいな、と思っています。

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Netflixで配信中の『悪魔くん』のアニメも見ています。「最強格悪魔なのにラーメンにすぐ釣られちゃうし騙されやすい」メフィスト2世と、「半分人間なので魔力は弱いがその分人間の情に厚い」メフィスト3世、好きすぎる……(とらつぐみ・鵺)