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醤油ラーメン、時々チドリ。(小説)


「ダイゼンラーメン」のメンマは、自家製だ。春先のメンマは、店主の実家の近所で採れたタケノコを使っているので、他の時期よりちょっと柔らかい気がする。

……と、この店の常連の西村は言っていた。

「駅前の店はだいたい混んでるから、大学の頃もよく来てたよ」

西村はそう言うと、ラーメンの湯気で曇った眼鏡を外してハンカチで拭いた。


彼と最初にダイゼンラーメンに行ったのは、職場の新人研修の帰りだった。

西村は、最初の自己紹介の時は無口で神経質な奴に見えたが、休憩時間に話しかけてみると、意外とノリがよくて面白い奴だった。しかも同じ部内のちがう部署に配属だと聞いて、親近感がわいた。

研修の後、ほかのメンツは駅前の店に飲みに行くと言っていたが、西村は駅から離れてるけどいい場所があるからそこにしよう、と言った。

彼に連れてこられた時、外見は雑居ビルにしか見えなくて、本当にラーメン屋なのかと目を疑った。近づいてみると小さく看板が出ていた。

「店の名前って、鳥の名前から取ったりしてる? 看板に鳥の絵が描いてある」
「いや、そこまでは知らないな……でも店長の名前からとったとかではなさそうだから、そうかもな」

中はテーブル席が4つとカウンター席があり、俺たち以外客はだれもいなかった。

手書きのメニュー表に一番目立つように書かれていた醬油ラーメンを注文すると、何の変哲もない――というと褒めていないように聞こえるが、奇をてらった感じのない、美味そうなラーメンが出てきた。

醬油ベースのスープは明るい茶色で、油が少なめであっさりとしている。自家製のチャーシューも味がしみていて美味しい。麺はつるっとのどごしがいい。

ちょうどテレビが見える位置にあるテーブル席で向かい合い、俺たちは無言でラーメンをすすっていた。

ラーメンを食べ終え、ふと顔を上げると、西村がこちらをじっと見ていた。

「何」
「いや、いい食べっぷりだなと思って」
「……俺、そんな美味そうに食ってたかな。ここのチャーハンって美味い?」
「美味いよ」
「じゃあ注文するわ」

俺は運ばれてきたチャーハンをレンゲで掬って食べた。米がパラッとしていて、それでいて脂がしつこくない。チャーシューもゴロゴロ入っていて、確かに美味い。

「研修の休み時間に、大食いYouTuberの動画をよく見るって言ってたけど、そういう……グルメ情報とか見るの、好きなのか? 『隠れた名店』的な」

「ああ……別にそういう情報を得るために見てるわけじゃないな。この店も、たまたま入ったら良かった、みたいな感じで」
「そうなのか。それはすごいな」

俺がチャーハンを食べ終わるころ、西村のどんぶりにはまだラーメンが少し残っていた。
「すまん、食べるのが遅くて」
「全然」

俺はお冷を飲みながら、ぼんやりテレビを眺めていた。
夕方のニュースのコーナーで、視聴者が投稿した可愛い動物の動画が流れていた。人間の言葉を喋る(?)猫の次に、気持ちよさそうに水遊びをするアヒルが液晶画面に映った。

「やっぱり、コールダックは可愛いな」
いつの間にかラーメンを食べ終えていた西村が、明るい声を出した。
「コールダック?」
「あのアヒルの品種。ペット用に改良されたちっちゃいアヒルで、結構人気がある」

「……アヒルって、品種とかあるんだ。てか詳しいな!?」
「うちも実は、飼ってるから」

彼はスマホを取り出すと、カメラロールの中の写真を見せてくれた。

番犬のように玄関前にちょこんと座っているアヒル、風呂場にいるアヒル、バケツの中に山盛りになったキャベツを一心不乱に食べているアヒル。

「アヒルって、食い方が豪快というか……結構派手に散らかすけど、そこも含めて可愛いんだ」

彼は口元をほころばせながら、そう言った。

その表情を見て、俺はなんとなく合点がいった。彼は、人とか動物が美味そうに飯を食べてるの見るのが好きなのかもしれない。


「実は俺も鳥が好きなんだよ。って言っても飼ってる鳥じゃなくて、その辺にいる、野鳥の方だけど」

俺の言葉に、西村は「へえ」と相槌をうった。

「バードウォッチングってどこに観に行くもんなの? 山?」
「山もたまに行くけど、俺はもっぱら海岸とか河口かな。この時期は、この近くの川にも、チドリがよくわたってくるよ」

西村は一つ瞬きをした。
「チドリってあの……千鳥足とかのチドリ? こんな街中の川にもわたってくるんだ」
「結構普通に見られるぞ。よく観察したら、身近にも色んな種類の鳥がいる」

「へえ……野鳥を見ると、こう、触ったりもできないし、ずっと見ていても懐くわけじゃないだろ? どういうところが面白いんだ?」

俺は西村の方に身体を向け、言葉を選びながら答えた。

「触れなくても、そっと見守れるのが、いいんだよ。自然の中で実際に生きていて、餌を採ったりしている様子が見れると、感動するぞ」

「例えばさっき言ってたチドリの仲間とか、砂浜の中に潜んでいるカニとか虫を、器用に嘴でつまんで丸呑みにしたりするんだよ」

「へえ、それはすごい!」

「これは前カメラで撮ったやつだけど、ほら、地面に潜んでる細長いミミズみたいなのを引っ張り出して食べてる」

「おお、すごい。なんか、麺をすすってるみたいだな」
「……確かにそうかな。ゴカイって、ラーメンに似てるのかもしれない」

「ゴカイっていうのかそれ……うわ、思ったよりキショかった」
ゴカイの画像を検索した西村は顔をしかめると、スマホから目を逸らした。

ゴカイはミミズみたいな環形生物で、釣り餌に使われたりする。冷静に考えると全然ラーメンではない。なんだか可笑しくて、声が出た。つられて西村も笑う。

カウンターの向こうの店主が何事かとこちらを見たので、ちょっと気まずかった。

☆   ☆  ☆


研修期間が終わった頃には、ツバメの巣立ち雛がそこかしこで見られるようになっていた。まだ梅雨入りしたばかりだというのに、外は真夏の暑さだ。

そんな日も、俺はまたダイゼンラーメンに来ていた。研修終了お疲れ会、と称して西村も誘ったが、少し遅れるらしい。

メニュー表の一番目立つところには、「夏限定、冷やしつけ麵!」と太文字で書かれている。今日はこれにしようかな。


店内には隣のテーブル席に1組、若いカップルがいるだけだった。注文を終えてお冷を飲んでいると、西村が店にやってきた。

「すまん、遅くなった」
「配属初日から残業か?」
「いや、引継ぎ受けた人が白鷺営業所にいて、どうしてもこっちに来る時間取れないって言われて……いきなり出張で参ったよ」

彼は席に着くとメニュー表をチラッと見て、醬油ラーメンを注文した。

「大沢はどうだった、配属初日は」
「俺も今日は引継ぎだけでほぼ一日終わったけど、引継ぎ受けた人がベテランの人でさ。不安しかない」

「分かる。僕が引継ぎ受けた人は、4年目の人だったんだけど、中途採用のめちゃ有能な人でさ。聞いたらその前任の人はやっぱりベテランだったらしくて。新卒のペーペーにできるのか? ってなった」

しばらくして醬油ラーメンと冷やしつけ麵がテーブルに運ばれてくると、彼の顔も少し明るくなった。

「そういや、暑いけど今日も醬油ラーメン?」
「え、ああ...…つけ麵って、麺を汁につける動作がある分、ちょっと食べるスピード遅くなるから」

そういう西村は、時折ぼんやりとどんぶりを見つめていたりして、いつになく食べるスピードが遅かった。

「そんなこと、気にしなくていいのに。時間に追われてる昼休みじゃないんだし、俺は全然構わないよ」
「……じゃあ次来た時はつけ麵にするよ」

この店のつけ麺は太麺で、醤油ベースでかつおだしのきいたスープに良く絡んで美味かった。ラーメンと同じ値段なのに、何故かサイドメニューのザーサイもついてきたのは、謎だったが。


「大沢って、野鳥を見るのが好きなんだっけ」

西村の声に、俺はどんぶりから顔を上げた。
「おう。それがどうかした?」

「いや……例えばだけどさ、道端に、怪我してるっぽい野鳥を見かけた時って、どうしたらいいとか、知ってる?」

彼が言うには、休日の朝に海沿いの道で散歩をしていて、浜の上でよく小さな小鳥を見かけるが、この間、その鳥が両方の羽を地面につけて、怪我をしているような様子だったという。

「それって……スズメよりちょっと大きいくらいの、茶色っぽい鳥だった? こんな感じの」

俺はスマホを取り出し、思い当たる鳥の写真をいくつか彼に見せた。

「たぶん、そうだな」
「散歩してる道って、堤防みたいな感になってて、浜からは離れているよな?」

「まあ、道自体はそうなんだけど、砂地の上に珍しい形の貝殻があって、拾うために下に降りたら、その鳥が目の前にいて……」

「悲し気にピイピイって鳴いてたけど、仮に保護しても手当てとかできるわけじゃないし、そのままにしちゃって」

大沢だったら、そういう時どうしたらいいか知ってるかなと思って、と言うと、彼はチャーシューを一口かじった。

「いや、その行動は間違ってないと思うよ。その鳥は、たぶん怪我してないから」
「え?」

「その鳥――前に話したチドリの仲間だけど、そいつらは、巣に外敵が近づくと、自分が怪我したふりをしておとりになって、巣から引き離そうとするんだ」

擬傷行動っていうんだけど、と俺が言うと、彼はさらに目を丸くした。

「じゃあその鳥は――」
「近くに巣があって、浜に西村が下りてきたから警戒したんだろうな。そのまま近づいてたら、子育てをやめて別のところに行ったかもしれないから、思いとどまってくれて良かった」


「そうだったのか……巣を守るために怪我したふりするなんて、チドリも、生きるのに必死なんだな」
西村は、醤油ラーメンのスープにぼんやりと目を落としながら、そう言った。

「そう、野鳥は、みんな生きるのに必死なんだ。それをなるべく邪魔しないように、遠くから見守るのが俺は好きなんだ」
「なるほどね」
「でもただ見ているだけじゃなくて、どうしてそういう行動をするのか関心を持って、知ろうとするのも、大事だと思う」

何度か小さく頷いたのち、鳥がいそうな間、しばらくは砂地には下りないようにするよ、と西村は言った。

俺はつけ麵の最後に残ったチャーシューを口に入れながら、親指を突き出して見せた。


☆  ☆  ☆


つい数週間前までは真夏の暑さだったのに、今週は妙に冷え込んできた。渡り鳥も急に冷え込んできてびっくりしているだろう。

俺は昼休み、「久々にダイゼンラーメンに行こう」と西村にラインを送った。

定時を過ぎた後、俺は帰り支度をしたまま、彼がいる部署の入口を覗き込んだ。電話が鳴り響き、せわしなく人が行き交い、所々で打ち合わせをしているその部署は、まだ営業時間中のようだった。

入口に一番近いところでデスクワークをしていた西村と目が合った。俺は片手を軽く上げ、そうっと部署の入口から離れた。

職場の近所にあるコンビニで時間をつぶそう、と思い、エレベーターのある方へと向かった。

ボタンを押してエレベーターを待っていた時、後ろから肩を叩かれた。鞄と上着を右手に抱えた西村が立っていた。

「すまん、バタバタしてて遅れた」
「それはいいけど、抜けてきて大丈夫なのか?」
「同期とラーメン食べる約束してるって言ったら、『もう上がっていいから行ってこい』って追い出された」
「お、おう。そうか」

エレベーターが来たので1階まで下り、ビルを出て駅までの道を歩く。その途中の、細い道を曲がった先に、ダイゼンラーメンはある。隣を歩く西村は、心なしかうつむき加減で、足取りが重いように感じた。

「お前の部署、最近ずっとあんな感じか?」
「うん……最近はずっと9時とかに会社出てる」
「なんか顔色も悪いけど、大丈夫か?」
「ちゃんと寝ては、いる」

店のドアを開けると、珍しく店内は満席で、5分ほど待ってようやくカウンターの隅っこの席に案内された。俺は味噌ラーメン、西村は醤油ラーメンを注文した。

ラーメンを待つ間、俺は話題に困った。

最近は昼飯も一緒に食べていないから、近況もよくわからない。かといって、毎日9時まで残業してて、こんな時まで仕事の話をしたいわけではないだろうし...…

「ここの味噌ラーメン、食べたことある?」
「いや、味噌はまだないな」
「そうか...…」

「河原で散歩してるって前言ってたけど、最近何か面白いもの見つけた?」
「……休みはずっと家で寝てるから、あんまり。寝て起きたら夕方で、最近すぐ暗くなるから散歩行く気にもなれなくて」

「ええ……それ本当に大丈夫か?」
「そういう日は、家で動画見てるよ。最近は、自然番組とかよく見る」

二人分のラーメンがカウンターに置かれた。

そういえばつけ麵の季節に会った時、「どうやってそんなに野鳥に詳しくなったんだ?」と聞かれたので、野鳥の生態を紹介するテレビ番組や動画チャンネルをいくつか紹介したことを思い出した。

「野鳥が、必死になって生きているのに感動するって大沢が言ってたの、なんとなく分かったよ」

西村は割り箸を割ると、ラーメンを啜った。眼鏡のレンズが曇っても、お構いなしにもう一口。


「何というか……餌食べてる時もそうだけど、子育てだとかの様子見ると、ちょっと泣けてくることもあって。前に教えてもらった、チドリの擬傷? だっけ。そのことも思い出しちゃって」

「でも悲しいとかじゃなくて、何というか、必死に生きているところを見ると、心が救われる、みたいな……って言葉にするとなんかアレだな。忘れてくれ」

彼はそう言うと、誤魔化すようにまたラーメンを勢いよくすすった。俺はメニュー表を手にとって、カウンターの向かいにいる店主に声をかけた。

「……すみません、鶏皮餃子、追加で」
「久々に店で食べるラーメン、美味いな」
「鶏皮餃子も、半分食えよ」
「え、でも」

西村はどんぶりから顔を上げて、俺の顔を見た。

「食べたいけどそんな腹減ってないから、半分食ってくれよ」
「……じゃあ、半分だけ。ありがとう」


味噌ラーメンは、唐辛子が少し入っていてピリッと辛く、トッピングのバターを溶かすとマイルドになって、美味い。
無言で麺を啜る西村の横で、いつもよりゆっくり、味わいながら味噌ラーメンを食べた。

しばらくして、カウンターに餃子が6つ載った細長い皿が置かれた。俺は取り皿に3つ餃子を載せると、西村に渡した。

箸でつかむと、こんがり焼かれた表面がパリッとかすかに音を立てる。一口かじると、熱々の肉汁が一気に中からあふれ出す。

「ふぁ、あ、あふい」

「熱いけど、美味いな」

彼は涙目になりながら、俺の言葉に何度も頷いた。



俺と西村が同時にラーメンと餃子を食べ終え、席を立った頃にはいつの間にかピークが過ぎていて、俺たち以外にはテーブル席に1組がいるだけだった。店を出て、すっかり真っ暗になった駅までの道を歩く。

「やっぱり、ラーメンは寒い時期の方が美味いな」
「……うん。今日は特に、急に冷えたから、お客さん多かった」
西村は相変わらず地面に目を落としながら、俺の横を歩いていた。


「でも、これからまだまだ寒くなるだろ? だから……また来ようぜ。味噌ラーメン美味かったから、寒いうちに絶対食った方がいいよ」

「同期と定期的にラーメン食べる約束してるんです、って職場抜けてさ...…まあ、無理のない範囲でだけど」

しばらくして西村は顔を上げた。もう駅は目の前で、駅前通りのドラッグストアの照明が、彼の顔を明るく照らしていた。

「ありがとう。そういう口実がないとずっと残業してしまうから...…助かるよ」

「じゃあ次は、来月だな! 11月って、暦の上ではもう冬だからな。立冬って11月上旬だし」
「めちゃくちゃすぐじゃないか」
「いつなら空いてる? 10日とか金曜だしちょうどいいだろ」
「今決めるのか?」
「こういうのは、今決めないと一生決まらないぞ」

じゃあ10日で、と彼は半笑いでそう言うと、改札をくぐって俺とは別方向の電車に乗って、帰っていった。


ーー
初見で行ったラーメン屋で店主と常連さんがずっと喋ってて気まずかったことがあるので初見の店に行くのはちょっと怖い(とらつぐみ・鵺)