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僕たちは世界を変えることができない

「僕たちは世界を変えることができない」をたまたまNetflixで見かけて、飛ばし飛ばしで少し見返した。

大学で国際協力サークルに入っていた時、カンボジアに行く者の必須項目のような扱いで、先輩に紹介され、みんなで見た記憶がある。感想のようなものを書いたような、書いていないような。いい感じに先輩が最後、まとめてくれたような、くれていないような。あの映画に込められたメッセージも、その時の自分が見て何を想ったのかも、先輩が僕たちに抱いて欲しかったであろう気持ちも、もう何一つ覚えてはいない。

ただ、今、事実として目の前にあるのは、あの映画を見た僕がミャンマーで働いているということだけ。それで十分かもしれなかった。

久しぶりに見返すと、見ていて鳥肌が立つくらい青臭かった。勢いでカンボジアに学校を建てようというのも、実際に現地に行って凄惨な現実にどうにも表現しようのない悲しさを覚えるのも、目の前にいる子どもたちの笑顔だけ見て、喜びを覚えるのも。

人は経験に囚われる生き物だと思う。もう、僕には無計画にまっさらな状態からワクワクするという気持ちだけで何かを始める無謀さも、悲惨な現実を目の当たりにして自分の無力さを噛み締める純粋さも、その場限りの喜びを心の底から笑える素直さも、残っていないような気がする。すべて、もう経験してきたことだから。

僕が生活しているのは、画面の向こうにいる向井理や松坂桃李がいるカンボジアからそう遠くないミャンマーなのに、来月にはカンボジアに行けるのに、僕はずっと一歩引いたように、俯瞰し眺めるように、その映画を観ていた。距離よりも、時間と経験が僕と彼らの間にどうしようもない距離を置いていた気がする。

この間、会社で内定者面談があった。僕が呼び出された理由は、内定者が発展途上国に関心があり、ミャンマーで僕が働いているということを伝えたら興味を持ってくれたかららしい。僕は快く面談に応じた。

面談の前、彼の履歴書に少し目を通した。「一時的な支援ではなく、現地の人が主体的に変化を続けられるような支援を…」と書いてあって、どこかで聞いたようなセリフだなと思った。僕は、ずっと同じようなことを大学でもやもやと考え続けていた。

考えるだけで終わっていた期間は終わり、行動して価値を出す時が来た。今、僕はそもそも支援がどうとかこうとか、これっぽっちも考えていない。どこの国であろうが、一緒に働く以上は上も下もなく、立てた同じ目標に向かって進むだけの仲間だと思えることが増えた。そもそも、僕が大学の時にずっと考えていた命題は、それ自体上下関係を前提にしたものだったような気がする。

たくさんのことを経験した。世界中には悲劇が溢れていて、友達を軍に殺されたり、日本では治せる病でたくさんの人が亡くなっていることも。夜中に赤ん坊を抱えて右手を突き出してくる5歳くらいの子どもがいることも、傷だらけの足を指差してお金をせがむ子も。もう、全部慣れっこになってしまった。僕の心は、映画の中の彼らのようにはもう動いてくれないのかもしれない。

でも、それだっていい。苦しみを全部まともに受けていたら心が持たない。慣れて、無機質になって、価値につなげる。やるべきことやできること、地に足をつけて何をすべきか、少しずつ少しずつ見えてきたところだから。

だからこそ、映画の中の彼らを羨ましく思ってしまうのかも知れない。揺れ動く心に身を浸すことができるだけの時間と余裕は、これから僕に訪れるのだろうか。わからないけれど、今できることを、少しずつ。

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