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覚悟と焼き鳥

2022年10月19日、きっと何かができると自分を信じてやまなかった僕は、この国に一抹の不安と、希望を持って足を踏み入れた。

2023年10月15日、4日後に帰国を控えた僕は、自分が残せたものは何だったのだろうと、やりきった気持ち半分、やり残した気持ち半分で、もう少しで去る自分の部屋を掃除して、帰国の準備をしている。

もう少しで帰国する僕の送別会(といっても3ヶ月後にはまたここに戻ってきているのだけれど)を日本人職員のみなさんが開いてくれて、焼鳥が美味しいと評判の店にみんなで足を運んだ。

評判に違わぬ美味しさの焼き鳥に、僕らは一つの異論もなく舌鼓を打った。なんでも、経営しているミャンマー人の方のオーナーは10年もこのお店を経営しているらしく、日本の焼き鳥屋で修行した後にこのお店を立ち上げたらしい。

「日本にお店を出しても、絶対に売れますよ」僕はお世辞抜きで、心の底からそう言った。オーナーは嬉しそうににっこりと笑って「皆さん、そういってくださいます」と流暢な日本語で、どこか誇らしげに返してくれた。

大きなホテルからうちに来てくれとオファーがあったこともあったらしい。それでも、品質のコントロールが難しいからと断り、デリバリーもできたてから味が落ちるからと懸念してやっていないらしい。焼くのもいつもオーナーとのことで、並々ならぬこだわりが伺えた。焼き鳥を出してくるタイミングも、僕らが食べ終わったちょうどくらいに出してくれて、「なるべくできたてを食べてほしい」と、日本でもなかなか無いような心遣いをしてくれた。

この人だから出せるそのままの味を、こだわり抜いてお客さん出す。国や文化が異なろうとも、誰かを思いやる気持ち、自分にとって大切な何かを貫き通す志は尊いものなのだと、普遍の真理を唯一無二の焼き鳥と一緒に口に運ぶ。

自分がここに来た意味って、何だったのだろうか。終盤運ばれてきた銀杏を噛みしめると、まろやかで優しい味の奥に少し苦味を感じた。僕は、この国のために、事業のために、何かを成し遂げることはできたのだろうか。なんだか、とてつもなく、途方もなく感じてしまう。

できたことは幾分かある。それでも、この人たちが積み上げてきた幾年という血と汗と苦労に比べたら、自分の悩みや葛藤なんてどうにもちっぽけなものに思えてならない。同時に、僕が進めた何かなど、蟻の一歩にすぎないのではないかとも思えてしまう。

「もう、ここでお店を10年もやっています。もともと、日本の焼き鳥屋さんで修行していました。」淀みのない日本語で放たれたオーナーの言葉を反芻する。今、僕がこの席に座り、この人の口から日本語を聞き、焼鳥が僕の口に運ばれてくるまで、一体この人はどれほどの労力を払い、異国の地で苦労と涙を拭い、それを他人の笑顔や幸せに変えるまで、どれくらいの時間を、犠牲を払ったのだろう。

ずっと正解のような何かがあるのだと思っていた。本で見たように、どこかで活躍する誰かの記事のように、煌めく銀の弾丸があって、それさえ放てばすべての難しいことが解決して、輝かしい未来が待っているのだと思っていた。

だけれど、そんなものは存在しなかった。僕はどうしようもない凡夫だった。僕にできることは、正解など存在しないことを受け入れて、正しい道を歩んでいるかどうか、一歩一歩泥濘を踏みしめながら暗闇の中を彷徨う恐怖や苦しみを一身に引き受けて、それでも前に進もうとする意思を持つことだけ。政情も何もかも不安定なこの国で、何年も事業を営んでいるこの人たちは、そういう意味で僕の何歩も先を行っていた。

覚悟の本当の意味が、日常の隙間から染み出すように僕の中に入り込んできた。覚悟とは、ある日突然未知のウイルスが国中を襲ったかと思えば、クーデターが起こり、破綻した経済政策がハイパーインフレを招き、ときに爆発の音の響き渡る夜の街の中だったとしても、ある日突然、軍人が従業員を脅し、事業を脅かしたとしても、決めたことを最後までやり抜くことだと。風が吹けば流されて、飛ばされてしまうようなもののことを覚悟とは呼ばないことを。当人たちはそれを覚悟として認識していないかも知れないが、それを意識せずとも行動できるほどの決意を持つことを、覚悟と呼ぶのだと。何かを成し遂げたいと思うのであれば、覚悟をしなければいけないのだと。そして、僕に足りていなかったのは、何よりもそれなんだと。

いま、僕の目の前に運ばれてきた焼鳥は、僕がこの一年間関わった事業は、誰かの覚悟の上に成り立っている。一足飛びの解決策なぞ存在しない。ただ日々の中でできることを、少しずつ 少しずつ積み上げていった先に存在する僅かな光明を、何度も恐怖し、逃げたいと思い、諦めたいと思い、どうして自分だけがと苦しんだ数の上に成り立つ何かを、すべて見ようともしないで一番上に浮かんできている誰かの成果だけを享受していた自分が、どうしようもなく恥ずかしくなった。

学生になってから、大人になったなと感じることは幾つもあった。だけれど、本当に本質的なのは「覚悟ができるかどうか」なのかもしれない。確証のない未来に向かって、持てる全てを出せると言いきれるのかどうか。与えられる側から与える側に回ることができるのかどうか。

僕は、かっこいい大人になりたい。かっこいい父親になりたい。今度はこの国で、新しく拠点をつくる。

次から次に運ばれてくる焼鳥は、どうしようもなく美味しくて、美味しくてたまらなかった。今度は僕が、誰かの食卓に美味しい焼き鳥を届ける番だ。

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