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会社を辞めるために、起業した。

こんばんは。
株式会社MIKKEという会社の代表をしています。井上拓美です。

MIKKEでは、クラウドファンディングを実施して「Chat Base」というクリエイター向けの医食住スペースを立ち上げ運営しながら、そこに集まる色々なクリエイターと共に、Webやアプリ、内装などのデザインコンサルティング事業をしたり、サイドハッスルが生まれやすい仕組みを作る事で、お客さんが値段を決めるコーヒースタンド「C STAND」や贈り物本屋「Hotaru」などの0→1のプロデュース事業などをしています。

最近は少しずつではありますが、僕のことやMIKKEのこと、そしてChat Baseのことなどを取り上げていただく機会も増えてきました。時間があるときに読んでいただけると嬉しいです。

そして今回どうして改めて自己紹介をしているのかというと、3月12日にオープンし、半年間程運営してきたChat Baseを思い切ってリブランディングしようと思っているからだ。

もちろんビジョンは変わらない。
ただビジョンに着実に向かうために、形を変えるだけ。

自分の思考の整理にもちょうど良いので、そもそもどうしてChat Baseを作ったのか?MIKKEはどのようにして生まれたのか?というところまで遡って説明し、Chat Baseの今後の変化の話に繋げていきたいと思う。

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会社を辞めるために、起業した。

僕は高校を卒業してすぐに札幌で飲食店を開いた。そして2年半経営してお店を売却し、上京。上京した理由はある東証一部の上場企業に出資をしてもらえることが決まっていたからだ。そして上京して直ぐに僕はITのスタートアップを立ち上げた。

高校を卒業してから、自由に自分で選択して生きてきた。もちろんお金のことで死ぬほど悩んだし、仲間がいなくなる時や、明日飯食えないかもしれないって思う瞬間は何度もあったので、辛くなかったというと嘘になる。

でも、自分の足で歩いていた実感はしっかりあった。
今振り返ると、怒涛の環境の変化が気持ちよく、すごく幸せな時間だった。

しかしITのスタートアップを立ち上げて1年、サービスに失敗。会社も閉じた。サービスに失敗した理由はたくさんあるので、また改めてnoteを書こうと思う。

そして出資してくれていた会社の代表や取締役の方々と話し、僕はこの出資してくれた会社に入社することに決めた。

入社をすることに決めた理由は、いくつかある。

・事業を作るには力がまだまだ足りないと感じていたから。
・当時作りたいと思う事業が見当たらなかった。
・出資してくれた会社に恩を感じていた。入社して恩を返したいと本気で思っていた。

だからこそ、入社当日僕はこの会社を本気で変えるぐらいの気持ちで頑張ろうと意気込んでいた。


入社して1週間で蕁麻疹が出てきた。


当時は全くわからなかったが、今考えると蕁麻疹が出ていたのにはいくつか理由がある気がする。

朝通勤の際に中央線から人がはみ出しているのを見てこの電車には乗れないなあと感じたり、上司のランチを"お腹がいっぱい"という理由で正直に断ったら、他の上司から注意をされたり、歓迎会で想いを語ったら理解されなかったり、、、

何かはっきりとしたきっかけがあったのではない。周りの人からすると、そんな小さいことでと思うかもしれない。でも、このような小さな違和感の積み重ねが、身体に影響していたのだと思う。

僕は入社して1週間で、蕁麻疹は出るし、土日がめちゃくちゃ楽しみになって完全にサザエさん症候群になってるし(実際にサザエさんは見ていない)、平日の出勤中もトイレに逃げては3時間ほど寝ていた。

社会人としてはかなりクズな人間になっていたと思う。
僕も自分の会社にこんな人がいたら居ても立っても居られないと思う。

仕事が好きで好きで仕方なかった自分がこんな風になるとは思っていなかったので本当に驚いた。


当時僕は、自分で会社を経営していた時に住んでいた家を引き払い、友人の家に居候させてもらっていた。その友人というのがMIKKEの共同創業者の小川大暉(以下大暉くん)だ。

当時の僕の生活は、朝起きて8時には家を出て、夜22:00ごろまで会社で仕事をし、帰って23:00ごろから大暉くんと一緒に新しい事業やサービスのことを寝るまで考えるというようなものだった。

生活を続けていく中で、日に日に会社での時間が辛くなっていき、生きている心地がしなくなってきている自分がいた。

反対に、家に帰って23:00から寝るまでの時間がめちゃくちゃ楽しかった。寝る時間がとにかく惜しくて、ほとんど寝てなかった。毎日明るくなってやっと、寝るという毎日だった。

次第に通勤中も、会社にいる間もずっと大暉くんとの事業のことを考えるようになっていた。会社でも連絡を取り合いながら、頭の中はいつも0→1のことでいっぱいだった。


そしてある日僕にとっては大きな事件があった。僕が入社した会社が大きな意思決定をしたのだ。当時売上の半分を占めていた事業を売却し、一つの事業に振り切ったのだ。僕はその事実をプレスリリースで知り、社員全員がオフィスに集められた。

集められた社員の前では、大きな意思決定をした役員陣が並んでこれからの会社の未来を語っている。

めちゃくちゃかっこよかった。かっこよすぎた。
そして悔しかった。ものすごく悔しかった。

役員陣が語っている内容は全く頭に入って来なくて、僕は何をしてるのだろう。どうして僕はこっち側にいるのだろう。僕は何のために生きているのだろう。という言葉が頭の中を回っていた。


この日に辞めることを決めた。

しかし辞める言い訳が見つからなかった。
会社を変える、入社して恩を返すと意気込んでいたのにも関わらず、3週間ほどで辞めたいと言い出そうとしているのだ。誰にも会わせる顔がなかった。

でもとにかくもう辞めたかった。生きれないと感じてしまった。考えに考えて無理やり出した言い訳が「起業する」だ。

もちろん言い訳とはいえ考えてはいた。大暉くんと事業は考えていたし、実際に起業しようとも思っていた。

しかし具体的に事業も決まっていないし、登記するだけのお金もないし、起業すると言うには根拠がなさすぎた。

そして多くの人に反対された。お前はクズだとも言われた。社会を舐めてるとも言われた。かつて友達だったと思っていた人にもとにかくボロクソに言われ続けた。

でも何人かの友達だけ「辞めると思ってた」と言ってくれた。

さらには、「たくみがどんな選択をしても自分に嘘をつかなければ、俺は応援する」と言ってくれた人もいた。

心が救われた気がした。この人たちのために俺は頑張ろうと思った。本気で応援してくれている人に応えようと。


そして僕は約1ヶ月ほどで会社を辞めた。

そして事業を決めず、大暉くんと共に起業した。

*次は事業を決めずに立ち上げたMIKKEを創業してすぐ、どうやって事業を作り生きていくことにしたかについて書こうと思います。

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