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咆哮…。

彼のゴールを見、サポのもとに走り出し両手の親指で背中を指す姿を確かめ、そして見慣れないユニを着ている彼を見て僕は「隣の奴より熱くなれ」という言葉を思い出した。

彼のプレーにはいつも「熱さ」が付き纏う。おとなしめの選手が多い札幌の中で、その担い手を全て自分が背負うかのように「熱さ」を振り撒いていた彼。相手の外国籍選手と空中でのバトルを繰り返し、スピードスーターを一心不乱に追いかけ、自分の放ったシュートがクロスバーをかすめ天を仰ぎながら自陣に走り出す彼は、ボールホルダーを追いかけるサッカー素人の僕の目にも否が応でもその「熱さ」とともに強烈に飛び込んできた。

時にその持ち味を放つ、「匙加減」を間違え、ピッチを少年のように叩く彼を見たのも一度や二度では無い。そんな所も含めて彼の「熱さ」は僕にとって頼もしく、少し照れ臭く、そして愛おしかった。

僕は子供の頃から「熱く」なる事への嫌悪感があった。それは「熱さ」の矢印がこちらに向けられた時に放つ、刃物の様な攻撃性、そして胡散臭さ。たぶん僕はそこから身を守る為に自分で「熱く」なる事を拒んできたのかもしれない。そうする事で自分の弱い部分を誰かに見られる事ないようにと編み出した君には到底及ばない僕なりのデフェンスだったんだ。

でもね…ミンテ。

君のプレーを見ているとその弱さも含め表現する事の大切さ。そして「熱さ」の矢印を他人ではなく自分に向けると、こちらまで心地良く自然と「熱く」なれることに気づいたんだ。だって君がいつも僕らに向かってする咆哮に、僕はいつのまにか自分も「熱く」なっている事に驚いて、その喜びを君に向けて返そうと必死に声を張り上げていたんだ。そう。「隣の奴より熱くなろう」としていた。

ミンテの僕への『咆哮』は今シーズンお預けに。

なぜならコロナ禍ではその「熱さ」にに応えてあげる声を出せないから。

そして、その熱さのエールの交換は
いつの日か札幌ドームに僕が奏でる『声』と『ミンテ』が戻ってくる日まで大事に閉まっておく。

いってらっしゃい、キム・ミンテ。

誰かが言ってたよ。

「貸してるだけだからね」って…。

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