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「Match day」は時に歯車を狂わせて…。

どこで僕の人生の「歯車」が狂ったのだろう。
明日の休みを前に自分の人生に今夜は答え合わせをしようと思考の旅に出たものの、果たして今晩中に目的地に辿り着くのかと僕は少し不安になった。

たぶん、あの中学の3者面談が分岐点だったんだろう。

小さな田舎町で育ち小中と親の顔までご存知の同級生達とこの先また3年間過ごすのはつまらない人生だと思い立ち、親にも告げずに面談当日に隣町の高校へ行くと宣言したあの日。母は息子の突然の独白に必死になってプロンプを入れるが僕はハムレットの如く朗々と志望動機を担任に話し続け最後は感動した担任が母を説得するという三竦みの挙句、見事、「答案用紙に名前を書いていれば合格」すると言われる隣町の名門校へと進学が事実上決まったあの夜の三者面談。結局のところご存知の同級生達が揃って地元の高校から不適合の烙印を押されめでたく、かってしだたる幼馴染達と隣町で「もう」3年を過ごす羽目になった。あの夜そんな素敵な選択をせずに地元の高校に通っていればトラクターの運転に明け暮れた名門学園生活も薔薇色に代わり、もう少し陽キャなコンサドーレサポーターが誕生していただろう。

いや、違う。
あんな若気の至りの挽回はいくらでもできたはずだ。
それよりも東京での生活を諦め、新たなる出発と北海道に戻る決意をしたあの日。妻はまだ1歳にもならない娘を抱きかかえながら再出発の地を「札幌」と主張した。
あの頃の僕はまだ全身に占める赤黒の割合が随分と小さかったので、いつもはここぞと判断は妻に一任していたのに、なぜだかその地を最北の街に設定してしまった。いつものように妻のインスピレーションに従っていれば、僕の身体の色がもう少し赤黒がかっていれば、都市間バスの時刻表と睨めっこすることもなく、週末の連休を確保するのに各所に頭を下げる必要もなかったはずだ。毎週末スーツのネクタイをゆるめオーセンティックのユニフォームに颯爽と着替えて札幌ドームに通いつめ、厚別の雨に打たれながら、ゴール裏にしっかりと陣取り、応援にいまいちやる気のないカーディガン姿の隣の友人に「もっと熱くなれよ!」と叱咤激励する熱烈コンサドーレサポが誕生していたはずだ…。

いや、違う。
その後クラブは「北海道コンサドーレ札幌」と名前をかえ最北の街もホームタウンのお裾分けを頂く事ができた。
数は少なすぎるとはいえ試合には足を運べた。最北の街から足蹴に通う社畜コンサドーレ札幌サポーターが誕生し何人かのサポーターの方たちと祝杯を挙げることもできた。物足りなさといえ同じ数だけ苦杯をなめたことだったくらいだ。「違う」と断言できるのは他に心当たりがあるから。やっぱりあの日か…。

そう。歯車が狂い始めたのはあの2019年の10月26日。
ルヴァンカップの決勝戦。
あの日5人目のキッカーの石川直樹が右隅にPKを決め
北海道コンサドーレ札幌が初のタイトルを手にした時からだ。
あれからというもの何かが狂い始めた。
歓喜の表彰式の後、ベンチ入りできなかった選手も加わり当時のキャプテンの宮澤がカップを高々と僕のいるゴール裏に掲げたあの瞬間から、北海道コンサドーレ札幌は常勝クラブの道を歩むはずだった。
しかしつぎはリーグの制覇だと意気込んだ翌シーズンから毎年タイトルはおろか10位くらいをうろうろしている。
思えばあの2019年シーズンオフ、チームは大きく変わった。
まず、カップを掲げた宮澤がシーズン後主将を荒野に引き渡した。
精神的支柱の一人だったPKを決めた石川はシーズン後、笑顔でスパイクを脱いだ。その時栄光のホイッスルを交代で下がったベンチで聞き、歓喜の輪からも少し離れたところにいたジェイは、翌年のシーズン前のキャンプでミシャの自身の起用方法の不満をSNSで投稿し、それが引き金となりシーズン半ば英国の地に帰っていった。
谷口の退場を誘発したチャナティップは、あろうことかその川崎に引き抜かれ、進藤はこのクラブでやり残したことはないとピンク色に染まった。
それでも初のタイトルを手にしたチームへの期待は高かった。
2020シーズン当初は大卒トリオ金子、田中、高嶺の活躍でそれなりの成績をおさめた。だが徐々に綻びが赤黒の割合を黒に傾けさせ、戦績も下降線をたどり始めた。監督と選手の潤滑油になっていた四方田ヘッドの横浜FCへの監督就任も大きかったかもしれない。荒野は彼なりにチームをまとめたが、そのプレースタイルともって生まれた勝ち気からかカードを貰いまくりサポーターからの批判の矢面に立った。僕はゴール裏から激しく浴びせられる叱責を全身で受け止める荒野を見ながら両手を耳に当て、流行り病のせいで世界中から応援が消え、声のないスタジアムになればどれだけよかったかと、非現実的な事を思い浮かべた。そしてそう思った自分を心底嫌いになった。
結局10位で終わったその年のオフに、数少ない希望だった大卒トリオが海外に、国内のビッグクラブにと、移籍するニュースが最果ての街にも届いたのをきっかけに僕もコンサドーレから距離を取った。

「人生の歯車なんてあるのかな」と今日の試合を前にして思う。
「やはり」思考の旅は到着予定を大幅に過ぎ試合当日を迎えてしまった。そこまで考えて「人生の歯車」なんてもう残り少ない老人の戯言かなと想い苦笑する。でも残り少ないサポ生活を赤黒に彩りたい老人の戯言にもう少しつきあってほしい。僕が再びこうしてスタジアムに通う日々を送るきっかけになった瞬間は確実に思い出せる。あの日が「歯車を狂わせた」瞬間だとすれば長旅も終わりを告げる。もう随分と昔の話だけど…。

その日、仕事で札幌の地を訪れていた僕は最果ての地に帰るべきバスを待つべく時間を持て余していた。そのときふと赤黒のユニをきた人々が入っていくスポーツバーに僕もなぜだか吸い寄せられた。奇跡的にキャンセルで席があり見知らぬ男性2人と相席をした。2020年ぶりに見るコンサドーレの試合。相席の男性達は主力が移籍し、開幕早々ケガ人も続出し降格も危惧していると、挨拶程度に僕に話をした。そして「毎年のことなんですよね」とつけくわえた。それから食い入るようにモニターをみつめ、僕もつられるように目を向けた。
荒野のたくましくなった顔がそこにあった。
そのとき確実に今までの歯車から違う歯車に移り変わる音がした。
あの日、サポの叱責に両手で耳をふさいだ僕とそれを全身で受け止めていた荒野。そのスポーツバーでたくましくなりすこし歳を重ねた彼の姿を目にした時が、僕の人生の歯車が狂った瞬間だった。

その試合の結果は今となってどうしても思い出せない。
でも考えてみれば勝敗や結果なんて人生の歯車や運命を狂わせるにはなんの力も及ぼさないのかもしれない。もしかしたらクラブの行く末にだってちっちゃな影響しか与えないのかもしれない。あの初タイトルを取った2019年のルヴァンのPK戦。仮に石川直樹のキックが止められその後に出てきた進藤のキックが、たとえキーパーの正面をついて結果涙したとしても、その後のシーズンの戦績はたいして変わらなかったかもしれないんだ。だから僕にできることはその瞬間、瞬間に「いる」ことだけ。スタジアムで、画面の前で、タイムラインを追いながら、そこに「いる」こと。それが何の意味を持つかなんてわからないし、言葉にするととてつもなく陳腐になる気がする。
でもあのスポーツバーで確かにそう思った。
結果はどうしても思い出せないあの試合、僕の歯車が狂った。
日付だけははっきりと覚えている。
そう、随分と昔の話。それは…

2024.3.2 VS サガン鳥栖。



「Match day」は時に僕の人生の歯車を狂わせてしまう…。

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