見出し画像

等身大の決断

就活が終わりました。総じてヘルシーな就活でした。スーツ1回しか着てないし、風邪引いてないし、痩せたり太ったりもあんまりしてないし。でもほとんどの部分が楽しくはなかったし、もうやりたくないなあ。就活終わってしばらくして、ちょっと心の平穏が取り戻せつつあるので、言葉にしてみようかと思います。

最近、「どこに就職するの?」とか「なんでそこに決めたの?」とか、色々と聞かれたときになんて返そうか迷っちゃう。話したいことはたくさんあるのに、どこを切り取って話せばいいのか、話を構成するのがとても難しいなと。

そういうときのためにでも、言葉にしてみる甲斐はあるのかなと思っています。

一年前の僕

どんな話から始めようかなと思ったのですが、就活をはじめる前のことから振り返ってみようかなと。所属していた学生団体S.A.L.を引退してから、大学を休学していた期間。今考えると、S.A.L.を引退した喪失感は想定していた何倍も大きく、S.A.L.の枠組み無しで何もできない自分の無力感に打ちひしがれていたような気がします。休学は最高に楽しかったけど。

まとめてみると、

・やってみたいことや行ってみたい場所はめちゃくちゃ浮かぶのに、どんな仕事がしたいかと言われるとさっぱりわからない。
・自分が今までめちゃくちゃ熱中して頑張ってきたことが、ただの「ガクチカ」になるのが許せない。
・色々一緒に頑張ってきた仲間たちがみんな就活モードに移っていき、飲み会の話題が就活ばっかになり、寂しい悲しい辛い。
・周りのみんなはすごい会社にインターンとか行ってるし、焦りがハンパない。
・就活ってワードが嫌い。マジで嫌い。

まあでも話すの苦手じゃないし、なんとかなるでしょ!みたいな謎の自信もあったりしたんですが、大きな苛立ちと不安が頭の中を渦巻いていました。

就活という影

僕にとって就活というワードは、大学時代につきまとっていた影のような存在でした。たまにふと意識しちゃうと不安になって、必死に目をそらしてきました。そんなこと気にしないくらいにやりたいことを頑張れば、絶対路頭に迷うことなんてない。そう信じてきたけど、でもやっぱり直視しろって言われると怖いもんだし、よく見れば見るほど実体がない。

結論から言えば、就活なんて気にしない!系の大学生活を送って、1ミリも間違ってなかったです。学生団体の引退ギリギリまでイベントやって、休学してインド行って。結果的にいろんなご縁が重なって、会社と出会って、ひとつの決断を下しました。その全部が、自分がやってきたことの延長線上で手繰り寄せた縁でした。「就職のための学生時代だった」じゃなく「すべては未来に続く一本の線だ」と胸を張って言えるのは、実はめちゃくちゃ誇らしいことだと思ってます。

来年4月から、株式会社ツクルバという会社で働く予定です。「『場の発明』を通じて欲しい未来をつくる」というミッションを掲げ、次の時代のスタンダードとなるような場づくり、コミュニティづくりを実践する会社です。

どうにも解釈の余白が大きい会社なので、余白を余白のまま説明したい。コミュニティ、デザイン、リノベーション、コワーキング。ツクルバの周りにある言葉を集めると、こんな感じになります。もうちょっと深く知りたいって人のために、ツクルバの思想に関連する記事のリンク貼っておきます。

暗闇と灯り

そもそも社会全体で、新しい働き方やキャリアのあり方が模索されているこの時代。めちゃくちゃいろんな情報が氾濫しているし、僕らはどんな言葉を信じればいいのかわからない。そして大好きな友人たちと過ごす時間ですら、就活の時期になるとピリついて、気づかぬうちに精神を消耗していきます。そんな真っ暗闇の中で、大事だと思ったことがあります。

「等身大の言葉を語ること」

就活の時期、僕はありとあらゆる言葉に包囲されていました。自己分析やら、キャリアプランやら、ワークライフバランスやら。「やりたいこととできることは分けたほうがいい」とか「自分のありたい姿を想像せよ」とか「成長するなら大手よりベンチャー」とか。それらの中から、自分が語る言葉を選ばなくてはいけないような気がしていたから、とても苦しかった。そんな言葉は、就活という暗がりの中に広がる闇そのもの。僕が灯りだと思えたのは、「等身大の言葉」でした。

僕を取り囲んでいたたくさんの言葉は、まあ結局、どれも本当かもしれないし、どれも嘘かもしれないんだと思います。つまりは人それぞれ。友人だったり先輩だったり両親だったり会社の人だったり、彼らが話す言葉のいくつかを選んで吸収して、再編集して、前に進んで行くしかない。

でも最終的に自分の口から語られる言葉は、等身大じゃないといけないんだと思います。誰かが言ってたけど、大学生に働く意味を問うのは、高校生に好きなお酒を問うのと同じようなものかもしれない。つまり、飲んだことないからわからない。高校生に「ジンジャーエールが好きなんで、ジンジャーハイが好きです!」って言われても、だいぶ疑わしい。いざ飲んでみたら、たぶん「あれ、思った味じゃない」ってなる。だったら「いかにジンジャーエールが好きなのか!」を熱弁できた方が100倍かっこいい。そして、それを笑わずに真っ向から受け止めてくれる会社を選んだ方が良い。これが、僕の思う「等身大」です。

僕にとっての等身大

しかし最初は、どの言葉が等身大で、どの言葉がそうじゃないのかわからなかった。就活をはじめて間もない頃、僕は「社会問題の解決を仕事にしたい」と何度も口にしていました。いわゆる就活の軸というやつです。しかし、ひと口に社会問題と言っても、どの会社も理想とする社会や理想の世界観が違うのは当たり前。「社会問題」という言葉は、等身大でもなければ、就活の軸にもなり得ませんでした。

そもそも「就活の軸」ってなんだろう。うだうだ考えても答えが見つからず、頭の中が靄で覆われてしまったとき、僕はよく自分のLightroomのカタログ(iPhoneで言うカメラロールみたいなもの)を眺めることにしていました。そこには自分がシャッターを切った無数の瞬間が記録されていて、自分が心揺さぶられた瞬間を思い出すときに大きく役立ちます。「ああ、このときこんな感情でシャッターを切ったんだったな」って、自分の感情が情景に結びついてどんどん引き出されていく。ジャイサルメールの沙漠の写真、ラダックの雄大な山々の写真、インドのハンセン病を追いかけたときの写真、佐渡ヶ島で出会ったおばあちゃんの写真。

そして、下北沢で写真展を開いたときの写真。あんなに寒い日だったのに、あんなにたくさんの人たちが集まって、初めて出会う人だったり、久しぶりに再会した友達だったり、色んなつながりやコミュニケーションが生まれて、そしてみんなが笑顔だった。会場のちょっと外側から、あの空間を俯瞰して眺めたときに感じた感動は、生涯忘れないでしょう。あのときのワクワクを鮮明に思い出したとき、この感覚を味わえる仕事がしたいと心から思いました。

僕は、「全く想像ができなかったような文化に出会い、自分を内省し、感覚をアップデートさせる瞬間」を味わい続けるような旅人的感覚を絶対に捨てたくない。そして、「文化や人生が巡り会う瞬間」を作って、みんなを笑顔にしたいんだと。そんなことを思って、ツクルバという会社を選びました。

「乗り物選び」の比喩

ある会社の人事の方が、就活は「船選び」だと言っていたのを思い出します。「自分がRPGの主人公で、行き先の島を目指して船を選ぶとき、どうやって選ぼうか」という話です。船の大きさや性能を見て決める人もいるかもしれないし、乗っている乗客のタイプで決める人もいるかもしれない。船長がかっこ良いから決めるのもありだし、直感でなんか良さそうだから決めるのもあり。もちろん表に整理して、総合点で決めるのもありです。

でもきっと、行き先だけは見ておいたほうがいい。どこに向かってるのかよくわからない船に乗っていると、きつくなったとき大変です。何のために自分が頑張っているのかわからなくなってしまう。だから「自分はどんな島に行きたいんだっけ?」とワクワクを膨らませることは、ヘルシーに就活を終える小さなコツかもしれません。そして、「船は途中で乗り換えられる」という認識も大事です。なんかもう嫌になっちゃったら、途中の港で降りて、しばらく休んだっていいんです。きっと長い航海になるんだから。

仲の良い友達に就職の話をすると、よく「拓朗らしいね」と言われます。それって実はめちゃくちゃ幸せなこと。自他ともに認める「自分らしい決断」ができて、僕はとてもハッピーです。僕がもし成田空港で、乗りたい飛行機を選んでいいよって言われたら、自分が経験したことのない想定外の出会いがありそうな土地へ行ける飛行機を選びます。それが僕の旅人的感覚だし、大学時代によく行ったインドや中国だってそうやって選んできた。こういう決断が、きっと僕の等身大なんです。

就活のときによく聴いていた歌があります。藍坊主というバンドの「伝言」。最後にその歌の一節を引用したいと思います。

生きることとは苦しむことと、真実そうに誰かが言った
そんな真実は、全身全霊で否定してやる
人は苦しむために生まれたんじゃない
人は幸せになるために生まれた
暗闇の中で見つけた

等身大で、幸せに生きます。

以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?