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ガンガーの水、バラナシの空

どうして僕は旅に出るんだろう。朝5時、バラナシのガートに腰を下ろし、そんなことを考えていた。

道を歩く聖なる牛も、オレンジの衣装に身を包んだサドゥーも、目の前を流れるガンガーも、河で沐浴をするヒンドゥー教徒も、僕が暮らす東京には存在しない。それでも僕は、どこかこの街に親近感を覚えていた。周りの騒がしい音や強烈な匂いに埋もれてしまわないように、僕は繊細にその理由を探していた。

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インドを巡る一か月の旅は残り僅かで、ここバラナシが最終目的地だった。バラナシの街はヒンドゥーの威厳に満ちた聖地であると同時に、多くの人間にとっては観光の対象でもある。ガンガーをボートで下りながら、ガートで祈るインド人を見物する外国人観光客も多い。彼らは大抵大きくて高そうなカメラを大事そうに構え、ガンガーの水を浴びる人々をまるで別世界の住人を覗き見るように眺めていた。僕はカメラをホテルに置いてきて正解だったと思った。僕が旅をする理由はこれじゃない。

インドを旅するのは二度目だったから、ヒンドゥーを信じる者たちにとってこの河が持つ意味とその存在の大きさを、漠然とだけれど、僕は確かに感じていた。インドのどの土地へ行っても、この河の名前を口にするとき誰もが遠くを仰ぎ見るような眼差しをしていた。ある人は囁くように、「でも、そこまで行くにはあまりに遠すぎる」と僕に言ったのだった。

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僕は立ち上がり、ガートを一段ずつ降りていった。ついにガンガーに手で触れられる距離まで来たとき、心がふっと軽くなったような気がした。ああ、僕が旅に出る理由はこれだ..。自分の手で、いや全身で、この水の温度に触れたかった。レンズ越しじゃない色をこの目で見たかった。旅で出会ったたくさんの人たちの思いをバックパックと共に背負って、この先も歩いていきたかった。

僕は服を脱ぎ、河に入る。目を瞑り、ゆっくりと頭まで水に浸かる。ガンガーの水は思っていたよりも温かい。その温かさは、いつかの放課後に友達と泳いだ小学校のプールの生ぬるさに似ていた。顔を上げると、いつも淀んだバラナシの空に淡い青空が広がり、どこか懐かしい形をしたいわし雲が大空を泳いでいた。こんなにも近くにあった美しさを、僕は見逃していたのだ。

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ほんの少し、世界との距離が近づいたような気がした。


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