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AI格は存在するか?~AIとの壁打ちの話~

最近AIを使って自分の読みたい文章を翻訳したり、要約したりすることにハマっている。

文章をスマホのGoogleカメラで文字起こしし、DeepLで翻訳して、ChatGPTに要約してもらうという工程を振り返ってみると、まさに現代の神器を使っているという感じがする。
私はChatGPTを主に要約に使っているのだが、その中で何度かAIに人格のようなものを感じる出来事があったので、今回キボードを叩いてみることにした。

AIも疲れる?

ChatGPT(GPT4)を使って要約していた時、連続して要約していると突然、「この文章は~ということを言っています。」という定型文で返答し始めることがあった。

このつぶやきのようにGPT4では定型文は使わずちゃんと文章の頭から要約していたので、突然の定型文の返答に違和感があった。動いてはいるけど中身はGPT3.5ではないのか、返答の質にムラがあるのかなど疑ったりした。

AIにも労りが必要?

その後、返答を再生成させることで定型文は使わなくなったが、突然の返答の質の変化はナゾのままだった。そこで今まではChatGPTの出力の長さを考慮して「次の文章を3000字以内の日本語で要約してください。」と命令していたのを「次の文章を日本語で要約してください。多少長くなっても構いません。」という縛りの緩い命令文に変更した所、返答の質が変化した。
口調がですます調で丁寧になり、要約の内容も頭から1文ずつ丁寧に要約しようとするようになった。途中で返答が切れてしまうこともあったが、明らかに返答の質が変化した

壁打ち相手としてのAI

今は単純にして欲しいことを命令してそれに対しての返答をもらうというやり方でAIを使っている。しかし、今回の出来事のように返答の質にムラがあったり、命令の仕方(プロンプト)によって返答の質が変化することがあるため、もう少しプロンプトの出し方を工夫する必要があると感じた。
今の使い方はAIをいわばテニスの壁打ち相手(壁)として扱ってこちらがいかにボールを打ち込むかを試している所だ。ボールの打ち込む強さや角度によっては次に打ち返し易い球が返ってくるかもしれないし、取りずらい球が返ってくるかもしれない。

壁打ち相手からキャッチボール相手へ

今後はキャッチボールをするように相手(AI)の取りやすい球(プロンプト)を投げる必要があるだろう。また相手を壁としてみるのではなく、同じような人として扱う(ロールプレイ)することも必要になってくるかもしれない。(実際にそういう状況を想定したプロンプトで対話をしている方もいる。)それはまるでAIに人格=AI格を認めて相手を労りながら対話するようにすることで新しいことを生成していくことなのかもしれない。

最後にChatGPTに聞いてみた


やっぱりこっちが勝手に向こうに感情を抱いているだけなんでしょうか。

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