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後悔なく生きる

3.11。人生をよりよく生きるために、自分が大切にしていたことを1つ発見した。

それは「明日死んでも後悔はない」ということ。

3.11はいつも、自分の事業のきっかけが震災だったことを再び思い出す。

ネットで起業したのは阪神大震災、TOCを最初に活用したのは東日本大震災。

EQを始めたのもコロナ禍という、ある意味の災害というか非常時だった。

大きな災害が起こる時に、自分の役割が発動するようだ。

震災では、今まで当たり前にあったものがなくなってしまう。

その時できることは、とにかく今ある手持ちのものをつなぎ合わせること。

新しいものなどすぐに持ってこれない。手元に残ったものを組み合わせて、今ここを何とか生き抜いていくしかない。

計画なんてできない。平時に作ったルールや標準化したものなど通用しない。過去の非常時から得た学びは活かせばいいけども。

どうすればいい?

今既に持っている才能を発動させて、臨機応変に、柔軟に、新しいものを創っていくしかないのだ。

その過程に、私は生きている実感を感じる。

今ここに集中してやっていると、思わぬ応援や協力、考えても見なかったいいことも起こる。

それが続けざまに起こって立ち直ってくると、楽しみが湧いてくる。

後から考えると、あの時知っていればというノウハウもあったかも知れない。

しかしその時は知らずにやる時だったんだろうと思う。

後で「これを知っていれば」ということが見つかったら、大きく次から活かしたいという想いが湧くだろう。

それは後悔とは言わない。

その感情と想いが人間の智慧を作る大きな力となる。

今日は「起業家の考え方」エフェクチュエーションセミナーに参加した。

内容はまさに、震災からやってきたことと合致する。

スティーブ・ジョブスの有名な言葉の引用があった。

「もし今日が自分の人生最後の日だったとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか。」

この言葉は、多くの人に対してはどうやら「達成したい夢や目標に対して全然進んでいない、それでいいのか?」というふうに捉えられるらしい。

今日もう一度聞いて、私の場合は今日も「はい」だった。

これまでの人生でも、ほとんどいつも「YES」だった。

なぜだろうか?と考えてみた。


恐らく、必要なものは既に自分の中にあって、大事な人は周囲に居てくれているからだと思う。

30代にがむしゃらに情報を入れて挑戦する時はそれをする体力があった。ネットで起業した人が周囲に居てくれた。

40代で自分の形を作り始めていく時は、それの骨格となる理論と出会った、学び合う仲間もたくさん居てくれた。

50代で自分の人生のゴールを表現することができた時期も、それをやってきた人たちと出会った。

そしてどんな時代も常に支えてくれる近くの大事な人達がいた。

常にその時の役割で、できることにチャレンジさせてもらってきたと思う。

役割はあるし、必要なものは既にある。それを発見し続けさせてくれた。それを発揮発動させることができるようにしてくれた。

だから後悔がないのだと思う。


明日死ぬとしても、私は今日も変わらず妻が作った味噌汁をいただき、そこで新しい野菜の美味しさを発見し、

老犬の散歩をして、生き物が老いることの意味を発見し、

夜に感謝の言葉を話して寝ると思う。

それで何ら後悔することはない。

後悔しない人生のためには、ないものを求めるのではなくて、今あるものを常に発見しつづけること。

後悔しなくていいのは、最大のリスク回避でもある。リスクがずっと発見の楽しみになるのだから。

それを3.11という日に気づけた。今日も素晴らしい出会いに感謝するしかない。

今日もまた発見に満ちた日が過ごせました。ありがとうございました。

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