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[縁側力] Vol.2 縁側の原風景

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いつも、あるいはたまに
森本繁生とお付き合いいただいている寄特で親愛なる皆様


さて、そろそろタイトルの「縁側力」について話してみましょうか。

そもそも私の縁側の原風景は、子どもの頃の夏祭りの季節。

踊るのが苦手な私は、広場の端っこの土手に座って、
みんながワイワイしているをぼ〜っと見ているのが好きでした。

わたしにとって、そこが縁側のイメージ。

縁側って、ウチでもソトでもない端っこを言ってるわけです。

みんなが笑って踊っているのを、端っこでただただ
「ええ風景やな〜」って見ているのが静かな幸せなのでした。

たぶんまわりの大人は
「もっと積極的に参加したらええのに」とか
「なんか一人でおるへんな子やな〜」とか
思ってたんやないかな。

大人は見えなかったかも知れないけど、
子どもは子どもの感性で幸せを味わっとったんやないかな。

そして、そんな子は意外と一人ではないんです。

たいてい、同じように踊る輪に入らず、
端っこで座っている子がもう1人くらいいるのです。

自然と、その子のそばに座ります。

「みんな踊ってるね。」「そやね。」

。。。。。

「ひとり?」「ううん、お父ちゃんと。」
「うちは父ちゃん、まだ帰ってけーへんねん。」
「ほうか。」

。。。。

なんとな〜く、祭りの話とか、家の話とかぼちぼち続けるわけです。

今思うと、そこには「ウチに入りきれない子の居場所」があったように思います。

ウチは「内側」。
自分はまちとか家には属しているけど、
そこにはどっぷり気持ちが入り切れない。

でも完全にソトにも出ていかない。
ウチがいい風景なのを知っているから。

縁側は、ウチとソトをいい感じでまぜ合わせたい子の
居場所だったのかも知れません。

話し終わったら、なんだかいつも気分が良かった。

何か、違ったものがいい感じで混じり合って、
幸せなものができたような気分になるのです。

「ほなね。」「またね。」

ちょっと明るい気持ちになって、家に帰っていったように覚えています。

この夏祭りの日がいつだったか。もはや全くわかりません。
いや、本当にあった日だったのかもわかりません。
もしかしたら夢の中だったのかも知れません。

でもその頃から、ずっーと今も、私は縁側に居るようなんです。

ウチとソトが出会って、何か明日の希望が湧くような
新しいものが生まれそうな場所。

ずっとずっと、そこに居続けていたように感じています。

縁側にどんな力があったのか。

今日は、縁側は希望を創る力があるって書いていたのかな。

まだまだ、いろんな力があるって語れそうですね。

なんせ、58年も縁側におったんやからね。

ほな、今日はこのへんで。

桜吹雪の近江富士より
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[縁側力] Vol.2
森本繁生
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